イチローさん、お疲れ様でした

Jay Drowns/Sporting News/Getty Images


To Read in English (Published Apr 2, 2019), please click here.

 最近、マリナーズの菊池雄星選手が、イチローさんについて“雲の上の人”だと話していたインタビューを見ました。アメリカにはこの表現を完璧に理解できる人は少ないのではないかと考えます。

 言い換えるならば、イチローさんは僕らのような普通の人間には決して手の届かない領域にいる、別世界の人ということだと思います。

 イチローさんは、まさに“レジェンド”そのもの。

 東京ドームでのイチローさんのメジャーリーグ最後の試合は、野球史に残る、価値ある美しい時間でした。そのころ僕は、春季キャンプのためアメリカにいたので、試合に向かうバスの中で試合のリプレイを観ました。球場に詰めかけたファンから贈られるイチローさんへの声援、そして敬意と感謝の言葉が聞こえてきました。

「ありがとうございました!」

 そう叫ぶ人たちがいました。これは英語にすると“thank you”を意味する日本語です。

「お疲れ様でした!」と繰り返す人たちもいました。これは日本独特の表現で直訳できる言葉がありません。“Thank you for your hard work.”でしょうか? ただ、それでも“お疲れ様でした”に含まれる尊敬と賞賛の想いは、この言葉では伝え切れないです。感謝とねぎらいの気持ちをじゅうぶんに表現できない。英語には、存在しない言葉だと思います。

 多くのファンにとって、イチローさんがどれほどかけがえのない存在なのか……。

「お疲れ様でした」、その言葉がすべてを表しています。

 僕はいま、ヤンキース傘下3Aでプレーしています。両親が日本人であるということが、幼いころから僕がイチローさんに憧れと尊敬の念を抱いている理由の1つでもあります。イチローさんの引退試合とセレモニーを観ながら、僕は感謝と敬意の感情はもちろん、偉大な現役生活が終わられることに言葉では表せない悲しみを覚え、胸がいっぱいになりました。世界中の多くのファンにイチローさんという存在がもたらしたものの意味。それを懸命に伝えようとしていた球場のファンの姿に、僕は感動していました。

 そこで、僕は今回この場を通して、僕にとってのイチローさんについて、皆さんと共有できたらと思います。

the Katoh Family

 サンディエゴで父がパドレスの試合に連れて行ってくれたのは、僕が6歳のときでした。対戦相手はマリナーズ。その試合中ずっと、僕はライトを守るイチローさんに惹きつけられていました。特別な親近感があったのです。

 僕たち家族はちょうどそのころ、日本からアメリカに来たばかりでした。僕はアメリカの小学校に通っていたものの、当時は英語を話せなかったので、なかなか馴染めず友達もいない、そんなとても辛い時期を過ごしていました。

 あの日、フィールドでのイチローさんは輝いていました。正確で安定感のあるプレーだけでなく、ひとつひとつの立ち居振る舞いに僕の心は奪われました。イチローさんは、フィールド上で唯一のアジア人選手。当時の自分の状況と重なりました。イチローさんは日本球界からメジャーに挑戦し、僕は両親とともに再渡米。お互い同じ時期に、新しいスタートを切るために太平洋を渡っていたのです。でも、イチローさんは、不慣れな環境に置かれていても、プレーや立ち居振る舞いに何ら影響がありませんでした。自分がアメリカでは異質な存在だという事実を完全に受け入れながらも自信に満ちあふれたプレーをしていました。

 それは、とてつもなく大きな勇気の表れだと思いました。その日から、イチローさんに夢中になりました。とにかくできる限り、そのプレーを観ようとしました。イチローさんのようになりたかったのです。

 僕も異国の地で、輝きたかった。

 イチローさんの姿を観ることで、僕もクラスメートに話しかける勇気を持てました。野球の練習では、チームメートとコミュニケーションをとるように努力しました。そしてすぐに、友達と遊ぶ約束をしたり、お誕生日会にも招待されたり……気づくと僕の周りに友達がいたのです。いまでもとても仲よくしている親友ができて、やっと自分の居場所ができたんだと感じました。

 イチローさんは僕にアメリカ社会に溶け込む勇気をくれました。新しい友達を探し、長く続く人間関係を築くこと。自分が異質な存在だということを認めるだけでなく、その事実を受け入れることができたのです。

 そのおかげで、僕の人生は一変しました。

the Katoh Family

 僕がイチローさんに親近感を覚えたもう1つの理由は、僕が所属するチーム内でいつも一番小さく、細身の選手だったからです。イチローさんは、メジャーリーグでよくいる大柄な選手ではありません。それにもかかわらず成功したのは、とてつもない才能の持ち主だったからです。その真の強みは、野球に対して自らを律する厳しさだと思いました。できる限り自制心を保ち、徹頭徹尾、彼は目の前のことだけに集中していました。野球選手という1人の職人として、自らの身を捧げ続けているように見えたのです。

 僕にとって、それがイチローさんを偉大だと感じる真意です。

 僕はイチローさんを見本にしました。彼の影響を受けて左打ちを学び、最高の選手になるために可能な限り彼の野球に対する価値観とストイックさを模倣しようとしました。そして高校3年生のとき、僕の努力は実を結びました。ニューヨーク・ヤンキースからドラフト2巡目で指名を受けたのです。

 イチローさんがプレーする、あのチーム。

 ドラフト後、ヤンキースがアナハイムでの打撃練習に招待してくれました。その日、フィールドで初めて僕はイチローさんに会いました。イチローさんはドラフトで指名されたことを祝福してくれました。それから……、残念ながら僕にはほとんど記憶がありません。イチローさんに会うなんて夢のような体験をしたことで、すべてがおぼろげな記憶になりました。

 まさに、イチローさんとの出会いが人生にとって千載一遇の機会となりました。

 次のオフシーズン、僕は共通の知人を通じて、勇気を出してイチローさんにEメールを送ってみました。打撃や盗塁のヒントを尋ねたかったからです。まさか返事があるとは思ってもみませんでした。なので、思いがけず返信をもらったときは本当に嬉しかったです。その返信には、あまりに多くのポイントがあるのでとてもEメールではアドバイスできない、と書かれていました。

 そしてイチローさんは、日本での練習に僕を招待してくれたのです。

 僕は、人生でこれほどまでに興奮したことがありません。イチローさんのようなレジェンドと一緒に練習できると思うと、ものすごく緊張しました。でも、ひとたびフィールドに出ると、緊張感はあっという間に消え去りました。僕が自分の定位置に戻ることさえ許されないほどに、イチローさんは次々とノックを打つのです。僕がボールをキャッチすると、すぐに今度は反対方向へ。僕はフィールド中を走らされました。連続して50回キャッチするまで休ませてもらえません。もし1つでも捕り損ねたら、またゼロからやり直さなければなりません。だからノック50回目に近づくたびに、イチローさんはからかって、僕の頭上にライナーを飛ばしました。それを捕球できないと、僕は振り出しからやり直さなければなりません。簡単には終わりません。イチローさんはとにかく僕の足を止めさせようとはしませんでした。

 長く厳しいトレーニングでした。その教えは想像を絶するものでしたが、それがまた楽しかったのです……。野球を楽しみ、トレーニングを楽しんでいる。

 あのイチローさんと、僕が一緒に。

Jeff Gross/Getty Images

 僕は、憧れの人と出会うチャンスを得ること、ましてや一緒に時間を過ごし、こちらにも興味を抱いてもらえるということが、どれほど特別なことであるかわかっているつもりです。でも振り返ってみると、イチローさんが日本でのトレーニングに僕を招待してくれたことに、きちんとお礼を伝えることができたかというとそうは思えません。なぜなら、僕たちは選手同士だったので、僕はイチローさんの熱狂的なファンであることを自分の心の奥底にしまっておきたかったのだと思います。そうすることで、プロフェッショナルな者同士として、厳格に向き合うことができると信じていたから。

 でも、彼が引退したいま、いただいたこの機会に、イチローさんにきちんと感謝の言葉を述べたいと思います。

「ありがとうございました」

 このひと言を伝えたいです。

 イチローさん、ありがとうございました。

 日本でのトレーニングに招いてくださったことだけでなく、すべてに感謝しています。僕たち若手に見本を示してくださったことにもお礼を言いたいです。日本とその伝統の象徴となってくださったこと、そして僕たちが愛する野球で、偉業を残し選手としてだけでなく、1人の人間として、永遠に忘れることのできない影響を僕に与えてくれたことに心から感謝しています。

「ありがとうございました」、その言葉だけでは伝えきれません。

 イチローさん、本当に「お疲れ様でした」。

 あなたは、僕にとっていつまでも雲の上の人です。

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