別れがたき日々
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とにかくいろんなことを言われてきたわ。
体が鍛えられていない。
スピードがなさすぎる。
ボールを奪われてばっかり。
ディフェンスのお荷物。
点を取ることしか能がない。
自分勝手。
扱いづらい。
面倒なヤツ。
ムカつく。
何を言ってもムダ。
チームメイトとして最悪。
もう年齢的にムリ。
そして私のお気に入りは…
史上最も変わっているトップアスリート。
いくらでも続けることができる。実を言うと、私はこうした言葉たちを自ら探し出してリストにして、スマホのアプリに記録していたの。それはとても長いリストよ。プロとして戦ってきたこの美しき17年間の選手生活では、不快なことをたくさん耳にしてきたわ。たぶん、多くのアスリートはそうしたコメントは無視していると言うと思う。そんな言葉で自分たちの心は傷つかない。そんな言葉は雑音に過ぎないんだとね。でも私は、現役生活に別れを告げようとしている今、正直に言うけど、一部の言葉で私は深く傷ついたわ。
私はーーこんなことを言うと冗談でしょと言う人達がいるのを知っているけど-ー感情を持った人間なの。この闘いの中でみんなが感じる様々な感情を、私だって全部感じてきたの。私は喜びが最高潮に達したこともあるわ。でもそれと同時に、悲しみや不安、憂鬱、失意、敗北だって経験してきた。自分には何の価値もないと感じたこともある。誤解されていると感じたこともある。私はありとあらゆることを感じてきたわ。
そして笑っちゃうことに、人々がカーリー・ロイドという名前を聞いたときに思い浮かべるのは、氷のように冷たい人間なの。あるいは“殺人者”。むしろサイボーグかもしれない。でも私は違う。私はそんなんじゃない。“殺人者カーリー・ロイド”は、様々な困難が降りかかるこの世界で、私が生き抜くためになくてはならない仮面のようなものだったと思う。
夢を抱く子供に対して大人達は、結局、競技そのものはたいした問題ではないなんて、決して伝えない。競技自体は些細なことだと言えるわ。だって、試合は試合だもの。でも、“もう一つの試合”は? フィールドの外で繰り広げられる試合は? そっちの試合は競技とは全く違うケダモノのようなもの。政治、メディア、差別、欺瞞、嫉妬、私見、遠征、ホテルの部屋の空虚さ、孤独、嫌になるほどの努力、怪我、侮辱、失望…。
遅かれ早かれ、最終的にこっちの試合には負けてしまうのよ。
問題はーーつまるところ大切なのはこれだけかもねーーそうした痛みや心の傷を、自分を奮い立たせる原動力にできるかどうかということ。
最終的にこっちの試合には負けてしまうのよ
- カーリー・ロイド
2007年ワールドカップの前にUSWNT(サッカー米国女子代表チーム)で当時のコーチとミーティングした時、私の目標は何かと聞かれたわ。そのときのことは今でも忘れない。あの頃、私はまだ子供だった。何者でもなかったの。ただの控え選手。最初の24試合で私が得点したのはたった1回だったと思う。だからこそコーチは「お前の目標は何だ?」と聞いたんだと思う。
私は言ったわ。「世界で一番のプレイヤーになりたい」
コーチはクスクス笑い始めた。私が冗談を言ってるか、頭がおかしくなったと思ったみたい。なぜかはわからないけど、その時のことはすごく印象に残っている。周りが自分のことをどう見ているかに気づかされたのね。私は全く「チームの主力」という中に含まれていなかったということ。スポットライトを浴びるような、あるいは雑誌の表紙を飾るような選手ではなかったということ。ましてや米国女子サッカーの顔となるような選手では全くなかったということをね。
私は脇役を演じるはずだった。平均以下の選手であるはずだったのよ。多くの人の目に偉大だと映るような選手に決してなるはずがなかった。
私はただのカーリー・ロイド。レーザービームのように集中して、けんか腰で、周りのみんなが間違っていると証明しようとしていた。みんなの発言を一つずつ撤回させることを、自分の人生のミッションにしていたの。不可能と思われることを実現していくために。
だから今、みんなが私にこれだけの愛を示してくれることが、私にはとても現実とは思えないの。人混みの中で私の名前が入ったジャージを小さな女の子が掲げてくれているのを見たり。あるいはみんなが私のことを、女子サッカーのレジェンドの一人とか史上最高のプレイヤーと呼んでくれたり。10年前、私はそんなことからあまりにもかけ離れたところにいたから。
2011年ワールドカップの決勝で私はPKを外して、2012年のロンドンオリンピックの直前はベンチスタートだった。その時、本当のところ、私は代表としてのキャリアが終わったと感じていたの。コーチ陣の私に対する信頼は揺らいでいたし、私はそうしたプレッシャーを全部心の中に留めて誰にも話さないでいたの。そしてある日、自宅のガレージにあるジムでワークアウトしていた時、本当に突然、涙があふれてきたわ。全てを抱えきることができなくなって、私は壊れた。たぶん、独りぼっちでワークアウトしながら、ガレージで数日にわたって泣き続けたと思う。もう私の時代は終わったと思いながら。
自分の将来がどうなるかわからない恐怖で、私の心の深いところが蝕まれていたの。
それでも毎朝目覚まし時計が鳴ると起きたわ。ガレージへ、フィールドへ、トラックへ、自分の体を引きずるようにして向かった。ロンドンに向かう前も、1日に3回のトレーニングをこなしたわ。時には涙を流し、自分に価値なんてないと思い、もう自分は終わったと感じながら。それでも私は足を一歩出し、その先にまた足を一歩出して進み続けたのよ。私はこの道を歩み続けたの。
つまりはそういうこと。スポーツ、特にサッカーにおいて、偉大な選手を本気で目指すために私たちがどれだけの犠牲を払っているのか、人々は絶対にわかっていないと思う。これはトレードオフの関係なの。しかも公平性に欠けるトレードオフ。人生のほとんど全てのものを文字通り犠牲にするの。大切なパートナー、友達、家族、一人の時間、自分が愛するものさえも。それらと引き換えに、もし全てがうまくいったとしたら、もしかしたら4年に1度のワールドカップやオリンピックで自国の代表となるチャンスを得られるかもしれない。
私は自分の全てをこれに賭けてきたわ。私はもう30歳になったところだった。だから全てが終わってしまったように思えた。
私のサッカー選手としての旅路がみんなが知っているような結果となったのはある怪我がきっかけ。オリンピック初戦のフランス戦、開始16分でシャノン・ボックスが倒れて、ピアがベンチの私を呼んだの。私にはウォームアップする時間が全くなかったけど、ともかく私はこのチャンスを絶対に掴まなければいけなかった。あれが私にとってまさにターニングポイントになったわ。あの瞬間以降、私は一度たりとも後ろを振り返らなかった。実際、その後のトーナメントでは、交代することなくフィールドに立ち続けたわ。
それから後のことはもう、みんなが知っている通り。決勝で2得点して、私たちは金メダルを勝ち取った。3年後のワールドカップ決勝の日本戦ではハットトリックを決めて、私は突然、「GOAT(史上最高の選手)」と呼ばれるようになったわ。私はアメリカのヒーローになったの。私はスポットライトの中心にいて、雑誌の表紙を飾り、深夜のトーク番組に出演した。ある時を境に、突然私はみんなが話したがる人になったの。
それでもまだ、私にとってはその全てが現実のこととは思えなかったわ。3年前、私は自分が出来損ないだと感じ、自分の夢は終わったとガレージで泣きじゃくっていたのだから。
私は今の私になれるような器じゃなかった。
私の人生の台本にはそんなことは書いていなかった。
だからこそ、起きた全てのことが本当に最高のことだったわ。
3年前、私は自分が出来損ないだと感じ、自分の夢は終わったとガレージで泣きじゃくっていたのだから
- カーリー・ロイド
だからわかるでしょう? そうした日々に別れを告げるのはとても辛いこと。うまく言い表せる言葉が見つからないの。最後に代表のユニフォームを着る準備をした時に、みんなに何を伝えたらいいのかすごく悩んだわ。この17年間がどんなものだったのか、そして私にとってどんな意味があったのか、言葉にするのは簡単なことじゃない。
私の中で何度も蘇ってきた言葉は“困難”だった。
困難。
これはおとぎ話じゃないの。
これはとてつもない困難の話。
結局そういうことなんだと思う…。
人々は栄光を見てくれる。パレードをね。でもそこに至るまでの全てを見ているわけじゃない。
USWNTのジャージを身に着け、アメリカ代表になったことのある選手はみんな、人々が想像できないほどの犠牲を払っている。この闘いに人生を賭けているの。私自身、多くのつらい時期を乗り越えてきたわ。私の身近な人が自分の利益のために私を利用したこともあったし、洗脳されて操られたこともある。さらには12年間も家族と離れ離れだったことで失ったものもたくさんあるわ。周りに合わせず、自分らしくあろうとすることで、たくさんの人を怒らせた。期待されているような模範的なことを言わないで、周りを怒らせたこともある。深く傷つくようなことを目にしたり言われたりした。たくさんの涙を流してきたの。
家族を持つことは二の次。普通の生活をすることさえもそう。自分の全てを17年間のこの闘いに捧げてきたし、一度も気を緩めることなんてしなかった。
信じられる? もしできるなら、私は同じことをもう一度すると思うわ。一瞬の迷いもなくね。
好きなように呼べばいいわ。
自分勝手。
面倒な人。
ムカつく。
何を言ってもムダ。
史上最も変わっているトップアスリート。
言いたいことを言えばいいわ。でも、これだけは覚えておいて。私は自分が持てる全てを注ぎ込んできたってこと。近道なんてなかった。誰にも媚びを売らなかった。私は誰でもない自分自身であり続けたわ。
私が偉大な選手になりたいと言ったとき、みんな笑わずにはいられなかった。呆れて、私がおかしくなったと思った。出る杭を打つように、私を抑え込もうとした。
でもニュージャージーから来た女の子は自分を磨き続けたの。
その女の子は決してやめなかった。
そしてワールドカップチャンピオンになった。
オリンピックの金メダリストになった。
世界で一番の選手になった。
自分の人生の台本を自分で書いたの。
周りが間違っていたことを証明したわ。