Dear Jeter
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日本から海を渡りニューヨーク・ヤンキースでプレーした7年間。
1人の偉大な選手と出会い、そしてともに過ごした日々が私の人生にとって大きな財産となっています。
その選手こそが、デレク・ジーターです。
私が説明するまでもなく、現役時代の彼はピンストライプのユニフォームがとても良く似合い、そのプレーとキャプテンシーでファンを魅了し続けました。まさしくメジャーリーグを代表するスーパースターでしたし、いまなお、その姿は世界中の人々の心に深く刻まれていると思います。
そのジーターが、ザ・プレーヤーズ・トリビューン(TPT)日本版のスタートに際して、『Dear Japan』という記事を公開しました。その中で彼が日本へのメッセージに加えて、私との思い出、そして日本で一緒に過ごしたことについても振り返っていたのを読んで、当時の貴重な時間がジーターの思い出として残っていることを知り、私は本当に嬉しかったです。
今回その“返礼”という形で、私が心から尊敬している友人ジーターについて、彼とのエピソードや彼の魅力を語ってみようと思います。
早くチームに馴染めるように配慮して誘ってくれたのがジーターでした
- 松井秀喜
私がメジャーへの挑戦を決意し、ヤンキースに入団したのは2003年。
いまでも記憶に残っているジーターとの最初の思い出もそのときのことです。私が日本から海を渡り、間もなく始まったタンパでのスプリングトレーニング。チームに合流してまだ日が浅く、慣れない様子の私を温かく迎えてくれたのが彼でした。
当時ジーターはすでにメジャーリーグのスーパースターであり、私にとっても、直近までテレビの向こう側にいた超一流選手です。
そんな彼が、ある日のスプリングトレーニングの練習後に「今日マイク・タイソンの試合があるから家に観に来ないか」と気さくに声を掛けてくれました。「何も用事がなければ来なよ、待っているから」と誘ってもらった私は、「ぜひ、行かせてもらうよ」とジーターの家に向かいました。
細かいところまでは覚えていませんが、そこにはポサダや他のヤンキースの選手たちも来ていて、軽くアルコールを飲みながら談笑して、ボクシングを一緒に観戦しました。
ジーターは、新しい環境の中で不安だろうと私を気遣い、早くチームに馴染めるように誘ってくれたのだと思います。そんな優しさが、彼の人柄の素晴らしさに触れた最初の思い出です。
ジーターは、ヤンキース、そしてニューヨークの象徴的存在なのです
- 松井秀喜
私がジーターに抱く印象は、最初の出会いから現在に至るまで全く変わることがありません。
それは、ジーターは「誰に対しても気持ちよく接し、相手に不快な思いを絶対にさせない」ということです。彼と接する機会が増え、知れば知るほど、その印象は確かなものになっていきました。
私はジーターと同じ年齢で、かつ彼はヤンキース、私は読売巨人軍で主力としてプレーし続けた境遇が近いこともあってか、「ジーターと似ていると感じる点はありますか?」と質問を受けることが何度かありました。私の口からは、彼ほどの選手と「似ている」「近い」と言うのはおこがましいと思いますが、彼の人に対する接し方など「私もそうありたい」と願い心がけていた部分が多々ありました。また彼の話している内容や考え方を聞くと、一方的にではありますが共感する部分があると感じていました。
ジーターには、スーパースターによくありがちな、人を寄せ付けない張り詰めたものが全くないのです。常に人を尊重し、誰に対しても敬意を払って接する。
彼がそのように振る舞うのは生まれ育った環境や元々の性格もあるかもしれません。常に誰に対しても壁がなく雰囲気的にもやわらかい。そこが彼の本当に凄いところの1つだと思います。
試合が終わってクラブハウスでメディア取材を受ける際も、いつも記者が最後の1人になるまで彼は質問に真摯に答えていました。一見、当たり前のことと思うかもしれませんが、やはり全員の選手が毎日そのようなことができるわけではありません。ヤンキースでも試合での自分のプレー次第で、さっさと切り上げて帰る選手はいましたし、メディアを避けて帰る選手がいたのも事実です。ましてジーターほどの選手になると記者は1人や2人ではありません。毎日、数多くの記者に囲まれる彼ですが、どんな時でも誠実に最後まで対応している姿がありました。
実は私も、高校を出て読売巨人軍に入ったとき「メディアの向こうにファンがいるから、ちゃんと対応しなさい」と教育されました。取材対応は仕事の一部で、嘘をつくことなく正直に答えなさいと。ある意味当たり前のことです。どんな質問であろうと聞かれればちゃんと答えますし、つまらない質問でも、同じ質問を繰り返されても、相手も仕事なのだから、メディアの人を尊重して時間を作ることが私自身も自然と身についていました。だからジーターの取材対応を見ていて、僭越ながらとても共感を抱くことが多かったです。
そしてジーターがさらに素晴らしいと感じた点は、ユーモアがあるということです。相手を喜ばせるサービス精神が特に抜群でした。チームメイトに対してもメディアの人たちに対してもファンに対しても冗談を言ってその場を和ませるのです。いつも本当に感心させられました。
選手としての優れた実績だけではなく、彼のそのような人柄・人格が、多くの人に愛され続けている理由なのだと私は思っています。まさにジーターは、ヤンキース、そしてニューヨークの象徴的存在なのです。
記憶に新しい、忘れられないとっておきの彼との思い出があります。
ジーターが現役を引退した翌春のこと。冒頭でも語りましたが、私の故郷、石川県まで来てくれたのです。
その当時、彼は現役を引退して、まさにこの「ザ・プレーヤーズ・トリビューン」(TPT)を世に出したばかりでした。それ以外でもビジネスの世界にも進出し、とても忙しくしていたはずです。それにも関わらず彼は来てくれました。
ジーターはこの思い出を『Dear Japan』の中で「私は友人の松井秀喜と彼の故郷を旅し、素晴らしい時間を一緒に過ごしました」と書いてくれていましたが、私にとっても生涯忘れられない彼との貴重な思い出となったのです。
街を散策したり、日本の着物姿を体験しただけではなく、私の実家にまで来てくれて、リビングで地元のカニやお刺身やすき焼きなどを一緒に食べたりもしました。
私の両親は当時の感動がいまでも忘れられず、「ジーターがここに来た。いまでも信じられない」と言っています。確かにそれは信じられないことだと思います。遠く離れた日本、そして都会からさらに長距離移動を要する私の故郷にまで、あのジーターがわざわざ足を運んでくれたのですから、どれだけスーパースターになっても驕りが一切ない彼だからこそ実現した出来事です。人を喜ばせるサービス精神やユーモアに長けている、それがジーターという男なのです。私や家族だけでなく、日本のジーターファンにとっても忘れられない思い出になったと思います。
そんな気さくなジーターですが、一方でチーム内でのキャプテンシーも絶大でした。
なぜジーターが「ミスター・ヤンキース」と多くの人に呼ばれているのか。その凄みを肌で感じとったエピソードがあります。
忘れもしない私にとってのメジャーリーグのデビュー戦、2003年の開幕戦での出来事です。ジーターはその試合で不運にも左肩を脱臼し、のちに1カ月半もの間、故障者リストに入ってしまう大怪我をしていました。選手にとって深く傷つき落ち込んでもしまうのも無理のないことですが、よりによって開幕戦で起きてしまったのです。しかし翌日、なんとジーターは球場に来てベンチまで足を運び、みんなに冗談を飛ばしていったのです。開幕して間もないチームメイトの緊張を和らげ、チームの雰囲気を盛り上げるためだったと思います。そのとき「やはりこの人こそがミスター・ヤンキースなのだ」と心の底から思ったことを覚えています。当時はまだ彼は正式なキャプテンではありませんでしたが、「ジーターはチームの象徴、ジーターがいるからこそのヤンキースなのだ」と早い段階で気づくことができました。彼がもしいなかったら、ヤンキースはまったく違うチームになっていたと思います。もちろん実力のある選手はたくさんいましたが、ジーターはやはりその中でも特別に際立った存在だったのです。
スーパースターでありながらチームに対する献身的な姿勢、チームメイトへの気遣い、チームの勝利を何より大切に考えていること……そのすべてをやり遂げようとする彼のことを私は心から尊敬していました。ジーターは、選手としてだけではなく、ひとりの人間としてたくさんのことを教えてくれました。初めて彼の自宅に誘ってくれたときから、プライベートでも球場でも、多くのことを学ばせてもらい、様々な機会を作ってもらったことに改めて感謝しています。ジーターについて、そんなふうに感じているのはきっと私だけではないでしょう。
自分の気持ちを真っすぐに届けたい人、心の声を100%綺麗に届けたい人には、このTPTは素晴らしい場所なんじゃないかと思います
- 松井秀喜
いまもまさにそうです。
彼がつくったこのTPTという場所で、私は自らの言葉で彼への想いを語っています。
私に限らず、数多くのアスリートのために、ジーターがTPTでやろうとしていることは「自分の心の声をストレートに届けたい」という願いを叶える場所を提供することではないでしょうか。メディアのフィルターを通すと、メディアごとの色がどうしてもついてしまいます。自分がメディアの質問に答えた言葉の中で、相手にとって都合の良い言葉だけを抜粋され、自分の意図しない印象でファンの方々に伝わってしまうことがあります。自分の伝えたいことを100%ファンの方々に伝えることは難しいといつも感じます。それは活字だけでなく、テレビなど映像でさえそうです。メディアや記者個々人のフィルターを通すことによって、100が80になったり70になったりということを私もたくさん経験しました。しかし、そうなってしまうことは、違う人間が言葉を伝える以上、仕方ない側面もあると感じています。
きっとジーター自身も現役のときにいろいろな経験をしたのだと思います。意図しない伝わり方になったり、自分のファンに伝えたい声をうまく伝えられないという歯痒さもあったのではないでしょうか。そういう経験をしたからこそ、現役を引退した彼が、100を100のままに伝える場所を提供したい、そういう気持ちがあったんじゃないかと勝手に想像しています。
自分の気持ちを真っすぐに届けたい人、心の声を100%綺麗に届けたい人には、このTPTは素晴らしい場所なんじゃないかと思います。ジーターはこの場所を選手時代の経験から、アスリート自身のメディアがあってもいいという考えから作り上げたんだと感じています。
次回は、私が長年住んでいるニューヨークという街について、そしてヤンキースというチームについて語るつもりです。
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