現役最後、大谷選手に投じた8球の真実
今年もメジャーリーグで、大谷翔平選手が圧倒的な存在感を見せつけファンを魅了している。打って良し、投げて良しの二刀流。僕ら世代が考えていた野球とは、まったくかけ離れた世界にいるといって良い。本当にすごい。
僕にとって、彼は現役時代最後に対峙したバッターでもある。その時投じた8球が、「黒田博樹から大谷翔平への無言のメッセージ」として受け止められているのだと、メディアの報道を通じて最近知った。
大谷選手が「ほぼ全球種を打席で見ることができた。間合いやボールの軌道が勉強になった」と言ってくれていたらしい。何しろ普段から自分に関わる報道は目に入れないようにしていたので、これまで知る機会がなかった。
大変光栄に思うと同時に、「いや、あれは大谷選手自身が僕から引き出してくれたものだったんですよ」と言いたい。意図的に球種の幅を見せよう、なんて余裕はなかった。6年ほど前のことなので細かいことは覚えていないが、記憶をたどりながら、僕目線での当時の“真実”をここに記したい。
2016年10月25日の札幌ドーム。先にマツダスタジアムで2勝した状態で敵地に乗り込んだ日本シリーズ第3戦で、僕は先発した。当然大谷選手は警戒対象。ただ、根本的に僕は個人対個人という勝負を試合に持ち込むことはしない。あくまでチームの勝利が優先であり、個人の楽しみを持ち込むことはチームに対して失礼だと考えていたからだ。
大学進学後、どうしたらチームにとって価値ある選手になれるかを模索し、3、4年生になってようやく芽が出たくらいの遅咲きだったからかもしれない。甲子園など高校時代から活躍してきたスター選手とは少し違う、自分なりのポリシーだった。
第1打席で相対した時から、すでに大谷選手の雰囲気に他者との違いを感じた。なるべく意識しすぎないように、気をつけなければならなかった。ファイターズのホームで、彼に打たれればチームが乗る。会場の雰囲気も変わる。だから、基本的にはランナーさえいなければヒットはOK、ホームランは防ごう、という心構えだった。
それなのに……。1回1死一塁の場面、3番で打席に立った彼に、初球から三塁線を破られた。投げたのはツーシーム。彼のバッターとしての力量をまざまざと見せつけられた。完全な力負け。この程度のボールじゃあ簡単に打たれるか、やっぱりな、と思わされた。
まるで赤子の手をひねるかのように、たやすく対応されてしまった
- 黒田博樹
当時41歳。レギュラーシーズンを投げきった後にポストシーズン、さらに日本シリーズとあって、正直、満身創痍だった。日本とメジャーとではマウンドの差もあって、野球人生で初めて右足首にも痛みを抱えていた。トレーナーに手を入れてもらって、ケアの時間も毎日相当取っていたが、痛み止めの注射を打っても効かないくらいになっていた。
言ってみれば、もう人造人間みたいな状態で、強引に投げていた。だからこそ、抑え込むというより打ち損じさせることができればいい、という考えだった。
4回、先頭打者として対峙したあの打席で、彼の本領を見た気がする。外角ツーシームと内角カットボールで体勢を崩し、3球目のスライダーで空振りを取った。こちらのリズムと思われたその次だった。内角にやや甘く入ったカットボールを、右中間へ持って行かれた。
確かに変化はあまり大きくなかった。だがそれより、変化しようがしまいが、来たボールにアジャストしよう、という姿勢だったのだと思う。まるで赤子の手をひねるかのように、たやすく対応されてしまった。
我ながら笑えないほどアップアップだったなぁと思いつつ、全身全霊の投球だったとも言えるだろう
- 黒田博樹
それでも、チームとしては5回終わって2-1でリード。先発投手として、なんとか1イニングでも1打席でも多く投げて後ろにつなげられるよう、必死だった。そして、6回1死走者なしで、この日三度目の対戦がまわってきた。
できることはなんでもやった。サインを見てうなずき、そのコースを目で追うときに、まったく別のコースに視線を持っていったり、投げるタイミングをずらしたり。これまで学んできた細かい駆け引きの部分、自分が持っている引き出しを駆使して、なんとか切り抜けようと頑張った。
もちろん、こうした技は全バッター、1球1球でやっていたら自分のメンタルが持続しない。勝負どころと感じていたからこそだ。我ながら笑えないほどアップアップだったなぁと思いつつ、全身全霊の投球だったとも言えるだろう。
前の2打席で打たれたのはツーシームとカットボール。単純にファストボール系は危ないだろうということで、フォークから入った。そう、わざわざ大谷選手に幅広い球種を見せようと思っていたわけではなく、別の球を投げざるを得なかったのだ。この事実こそが、「彼が引き出した8球だった」と思う所以だ。
2球目はスライダーで空振りに。3球目、再び投じたフォークで、ようやくレフトフライにすることができた。
正直に言えば、僕の投球で抑えたというよりは、大谷選手が打ち損じてくれた、という感じだった。今こうして振り返ってみると、せっかくの機会だったのだから、もっとしっかりしたボールを投げてあげたかった。というか、投げたかったなぁと思ってしまう。大人げなく、ただただ必死だった。
すでに足首は限界に達していて、彼との対戦を終えた直後に一度ベンチに戻った。状態を確認してマウンドに戻ろうと思ったが、次打席に控えていたのは長打力のある中田翔選手。不完全な状態で向き合うことはできない相手であり、自ら「変わります」とチームに伝えた。
当然、僕も人間なので、「やっぱりまだ行きたい」「大丈夫、投げられます」という気持ちがなかったわけではない。現役最後の登板になる可能性も頭の片隅で理解していて、「最後は良い形で終わりたい」という欲もゼロではなかった。だが、年齢と共に蓄積されたものが、それを許してはくれなかった。僕の中では大きな決断だった。
その後、延長10回でチームはサヨナラ負けを喫し、勢いを取り戻した日ハムにそのまま4連敗。日本制覇には届かず、結果的に大谷選手との対戦が僕にとって現役最後の登板となった。
優勝を成し遂げられなかった無念はあったが、投手としては、ある意味最後まで自分のポリシーを貫く形になって、良かったと思っている。もっと見てもらいたい、自分を出したいという自己主張よりも、チームのために自分があるという意識。一貫した姿を見せられたのではないだろうか。
20年間、一生懸命に野球をやってきて、最後に野球の神様が舞台を作ってくれたのかな
- 黒田博樹
あの日本シリーズからもうすぐ6年。当時は悔しさもあったけれど、改めて振り返ると、大谷選手には感謝しかない。日本シリーズという最高の舞台で、最後の最後まで真剣勝負をして引退することができたからだ。本当に、自分の中ですごく誇りに思っている。
プロの世界では、誰だっていつかは自分より若い選手に打ちのめされて辞めていく。自分より一回りも二回りも若い選手を恐れ、なんとか抑えたいと踏ん張り、ギリギリのところで争いながらユニホームを着続ける。そんななかで、最後に僕に引導を渡してくれたのが、大谷選手だった。
偶然の巡り合わせだと思うが、やっぱりなにか縁のようなものを感じる。20年間、一生懸命に野球をやってきて、最後に野球の神様が舞台を作ってくれたのかな、と。大谷選手にはまったく歯が立たず、力の差を見せつけられた。若い選手相手にそれを痛感して、逆に引退に向かう気持ちがすっきりした部分もあった。
今までの価値観を覆すようなパワーを持った選手が、どんどん出てきてくれたらいい
- 黒田博樹
僕がユニホームを脱いだ一方、大谷選手はアメリカに旅立った。そこからの躍進劇は、みなさんもご存じの通りだ。日本にいた当時から「二刀流」を実現させていることに衝撃しかなかったが、今こうして見ても、やはり常識を超越した存在なのだと実感させられる。
彼は、僕ら常人が考えている以上のことを考えている。だからこそ、あそこまで出来るのだろう。ピッチャーだけを頑張るのにヘロヘロになっていた自分からすると、到底考えられない。「打者か投手か」ではなく、「打者も投手も」。しかもトップレベルで。根本のマインドセットが違う。一度彼の頭の中をのぞいてみたいくらいだ。
きっとこの先、大谷選手のような若い選手が他にも出てくるのだろう。僕からすれば、現時点でもメジャーリーグで通用するレベルの高い選手は日本にもまだまだ居るし、メジャーリーグが最高峰のリーグだとも思わない。今までの価値観を覆すようなパワーを持った選手が、どんどん出てきてくれたらいいと思っている。そのなかで、ベテラン勢にはぜひ最後まで抗う姿を見せてもらいたい。今はそれがいち野球ファンとしての楽しみでもある。
僕はアメリカで、日本人ピッチャーだからといって舐められたくない、日本人ピッチャーの価値を下げたくないという思いでマウンドに立ち続けた。そうして微々たる力ながらバトンをつないだ先で、大谷選手が日本人のメンタリティーをもって世界を驚かせてくれた。日本人ピッチャーとしてこんなに誇らしいことはない。
挑戦も引退も、価値観は人それぞれ。今後また進路選択に迷うこともあるだろう。まったく同じ境遇に立つ選手もそうそういないので、アドバイスを求めるにしても難しい状況に陥るかもしれない。壁にぶち当たったら、決断した道が正しかったと思えるよう、必死で努力するしかないのだと思う。僕から伝えられるメッセージは、それしかない。大谷選手だけでなく、すべての選手たちに伝えたい。
最後に残っていた僕の野球人としての魂を、ギリギリまで引き出してくれた
- 黒田博樹
改めて言おう。僕の現役最後の登板で、世間から「黒田博樹から大谷翔平への無言のメッセージ」とされている8球は、僕からのメッセージではない。大谷選手が自分の実力をもって引き出したものだ。
1打席目にツーシームとスライダーで彼を抑えることができていたら、3打席目でフォークを投げることはなかったかもしれない。彼の打撃が僕の投球を上回っていたから、僕も意地になって投げた。40歳を超えても、「負けたくない」と心の底から思えるバッターだった。最後に残っていた僕の野球人としての魂を、ギリギリまで引き出してくれたのは彼だった。これが、僕にとってのあの日の“真実”だ。