苦しんでいるすべての人々へ
To read in English (Published Sep 17, 2020), please click here.
鬱になると、クタクタに疲れてしまうんだ。
それはメンタルヘルスに関する極めて残酷な皮肉のひとつだ。誰かが塞ぎ込んでいると、周りのひとたち──友達や家族の全員──はただ、そのひとが大好きなことをしたり、楽しそうにしたり、“以前の姿”に戻ってほしいと思ったりするものだ。
時々、世界中から注目され、「おい、しっかりしろよ。そんなふうに考えるなって。とにかく何かしろよ」と言われているような気がしてくる。
でも平気なひとには、理解できないんだ。そこから抜け出すには、強さと意志の力を総動員しなければならないということが。ただ生活を続けること。鬱と戦うこと、不安に打ち勝つこと、いかなるメンタルヘルスの問題と向き合うこと……それはもう、本当に信じられないくらいに疲れ果ててしまうことなんだ。
最近、そんなことばかり考えてしまう。世界中で職を失った数えきれない人々、愛する人を失くした人々、あるいは2020年に人間として生きるという空前の不安に立ち向かっている人々。この瞬間にも、実に多くの人々が苦しんでいるはずだ。僕もそのうちのひとりだ。今もまだ苦しんでいる。ここ2年半の間に様々なことをしてきたというのに、時に日常は残酷だよ。
ありのままを言葉にしようじゃないか。時に日常は完全にクソみたいだ。そうだろ?
今の言葉を口にして、すっきりしたよ。
調子の良い時でさえ、僕のデフォルトの状態はしばしば鬱陶しいものなんだ。僕は子供の頃から、そんなふうにただただ神経が昂っているんだ。それはこんな感じだ。朝に目を覚ました瞬間から、みぞおちのあたりにムカムカを感じ、その小さな不安が消えることはない。辺りからホワイトノイズがジリジリと鳴り、こんな声が聞こえてくる。何か悪いことが起きるぞ、今すぐにな、と。その恐怖の感覚は、ニュースやソーシャルメディアの何かと共鳴しがちで、いついかなる時も、僕を負のスパイラルに放りかねない。
ここ2年半の間に様々なことをしてきたというのに、時に日常は残酷だよ。
- ケビン・ラブ
僕はいつも、バスケットボールのおかげでそこから抜け出すことができた。でも、よく言われるような方法ではなかった──公園に行き、ボールを扱っていれば、途端にすべてが解決される、みたいな。そんなのとはまったく違うよ。
僕が知るかぎり、それをもっとも適切に説明しているのは、ロビン・ウィリアムスが亡くなった後に、HBOで放映された彼のドキュメンタリーだ。彼は自身のうちに抱える悪魔と戦うたったひとつの方法を話していた。朝に起きるとバイクに乗り、タンクが空になるまで飛ばし、夜にはステージに立って2時間のショーに完全に没入する──彼自身のすべてを捧げ、身も心も擦り切れたようになるまで。
つまり、考えなくて済むように。なぜなら、思考そのものが心をかき乱すこともあるから。
その気持ちは、本当によくわかる。僕は子供の頃から、自分の考えを麻痺させようとして、自らをしょっちゅう地獄に陥れていた。そのことを“痛みのタンク”と呼んでいた。もし自分がクタクタになったら、メンタルも空っぽになる。完全に疲れ切ったら、夜には何も感じなくて済む。そんな感じだった。
メンタルヘルスの問題を抱えているひとは、誰もが個別のストーリーを持っているはずだけど、僕にとっては(そしておそらく多くのひとにとっても)、自分のアイデンティティー全体がひとつの事柄と実に不健康に結びついていた。NBAはおろか、カレッジに入る前から、僕の価値基準はすべてパフォーマンスにあった。シェフ、弁護士、看護師などを職業に選ぶ人がいるように、僕は自分がやっていたことが仕事になった。たまたま、僕はバスケットボールをプレーしていただけなんだ。
良いパフォーマンスができないと、自分は成功していると思えなかった。人間としても。
自分の内面を心地よくする方法が、僕にはまったくわからなかった。非を認めず、堂々と部屋に入っていくケビンになんてなれなかった。生きている心地がしなかった。常に次のこと、次の試合、次、次、次と考えてしまっていたんだ。鬱から抜け出すことを成し遂げようとしていたみたいだった。だから、バスケットボールという支えがなくなった時、人生でもっとも暗い日々のいくつかが訪れたのは、驚きではなかったと思う。
これを話すのはまだ困難だけど、今まさに苦しい思いを経験している人々の共感を得られるかもしれないと感じている。このパンデミックによる危機的な状況で、仕事(や生きる目的)をなくした人々。あるいは、ただただこの話を必要としている人々のために。
鬱から抜け出すことを成し遂げようとしていたみたいだった。
- ケビン・ラブ
2018年のアトランタ戦で、僕が不安障害に襲われたことは多くのひとが知っているだろう。これについては、時間の経過とともに、楽に話せるようになった。なにより、想像以上にサポートしてもらえたらかね。ただそれはなんとなく皮肉なもので、僕はその一件によって名を知られるようになった。それは僕が公の場で経験した最初で最後──神様に感謝しないとね──の、ひどいパニック障害だった。とはいえあの瞬間は、恐ろしいことに、たくさんの意味合いにおいて氷山の一角にすぎない。長年にわたって抱えてきた多くの問題が、最高点に達した瞬間だった。それまでに、鬱との複雑で捉えどころのない戦い、つまり、自分のメンタルの問題を話したことはなかったんだ。
多くの人々が知っているあのパニック障害が起きた5年前、僕はおそらく人生でもっとも暗い日々を過ごしていた。そのシーズン、僕はティンバーウルブスで18試合しかプレーせず、右手を2度も負傷。あの頃に、すべてが崩れていったんだ。それまでに築いてきた建前や気概といったものが、音を立てて。僕はギプスをしていた。自分のアイデンティティーを失っていた。感情の吐け口がなくなってしまった。残されたのは、自分自身と心だけ。当時、僕はひとりで暮らしていて、ひどい社会的な不安から、自分のマンションから一歩も出なかった。実際は、ベッドルームからもほとんど出なかった。ほぼ一日中カーテンを閉め、電気も決して、テレビなども一切つけなかった。自分の内奥にある無人島に置き去りにされたような気分がする時、それは決まって真夜中だった。
ただただ……、暗闇のなかにいた。真っ暗な場所でひとり、自分の考えに取り憑かれていたんだ。来る日も、来る日も。
ほかの多くの人々と比べて、自分がいかに恵まれているかはわかっている。それは明確にしておきたい。当時もわかっていたし、今もわかっている。様々な請求書や子供たち、それ以外のものについても、僕には心配する必要がない。でも、それらはまったく別の話なんだ。僕の生きる目的はすべて自分の仕事と結びついていて、それを失ってしまうと、すべての些細なことが間違った方向へ進み、どんなに小さなことでも、どんどん悪化してしまうんだ。
これは外部のひとには、なかなか理解してもらえないことだ。負のスパイラルに陥るには、特別な何かが必要なわけではない。この世でもっとも小さなことでも、その引き金になりうるんだ。なぜなら鬱を患っていると、どんなに相応しくない状況でも、いきなり崩れ落ちかねないのだから。
それはただただ……、恥ずかしい。
その年、僕は鬱によって身体が麻痺するようになるまでになってしまった。もちろん、自分が弱っている姿は誰にも見せなかったよ。マンションに閉じこもり、僕が苦しんでいるところは誰にも見られないようにした。ワークアウトの時だけ外に出た。なぜならそこは、自分が世界に価値を与えられると感じていた唯一の場所だったから。それ以上でも、それ以下でもない。周りのひとたちには、勇敢な表情を作っていたね。
でも、偽りの仮面を維持するのは難しい。
未来に意味なんてないように思えてきた。希望を失うところまで来たら、いよいよこんなふうに考えるようになる。「この痛みをなくすには、どうしたらいいんだ?」と。
それ以上は言及しなくていいだろう。
数人の本当の親友がいなかったら、今日こうして自分のストーリーを話しているかどうかもわからない。僕が人生で出会ってきた99.9%のひとは、それが僕にとっていかに辛かったか、知る由もないだろう。でも聞いているひとにも苦痛かもしれないが、たった今、似た状況にいるほかの人々のために、僕は胸襟を開いて話をすることが必要だと感じているんだ。
数人の本当の親友がいなかったら、今日こうして自分のストーリーを話しているかどうかもわからない。
- ケビン・ラブ
僕が暗い部屋で座っている時、どうしたら物事が良くなっていくのか、まったくわからなかった。そしてもし、まさに今これを読んでいるひとがいるのなら、同じような暗い部屋に座っているひとがいるのなら、同じような考えに囚われているひとがいるのなら──それがたったひとりだとしても──
これだけは伝えたい。
誰かに打ち明けるんだ、と。
誰かに話すだけで、誰かに自分が今抱えている真実を聞いてもらうだけで、驚くほどすっきりするんだ。
いいかい、僕は何も、メンタルヘルスのお伽話を売り捌こうとしているわけではないんだ。それは長い年月を必要とする──いや本当に、僕は自分が必要としているものに気づくまで、29年もかかってしまったんだ。
薬が必要だった。セラピーも必要だった。
今でもそれらに頼っているし、おそらくこれからもそうだと思う。
今でもソーシャルメディアやニュースを見ると、途端に不安に駆られる日がある。でも時には、ほとんどなんの理由もなく、発症することもある。ただシンプルにネガティブなことが、僕を負のスパイラルに陥れるんだ。
あれ、今朝のコーヒーはまずかったかな? いや、自分がまずかっただけだ。僕はひどい人間だ。そんなふうに。
日によっては、ベッドから一歩も出たくない時がある。これはただの真実だ。だからこそ、今これを書いているんだ。
時々、僕は思うんだけど、人々は僕のことを完成されたものとして見ているようだ──もちろん、僕が受けている素晴らしいサポートや、NBAの選手というステータスがあるからだけど。あるいは、メンタルヘルスかなにかの成功の物語を語っていると、思われているかもしれない。彼らはキュレーションによって形作られた僕を見ているだけだ。ひとりの人間としてではなく。
実際のところは、ひとりの人間である僕は毎日、深いところに居座る困難と今も戦っている。実物の人間である僕はいまだに、自身の怒りと不安にどう対処すべきなのかを学ぼうとしている。そしていずれにせよ、本当の人間である僕は、デマー・デローザンの勇気がなければ、こうして自らの話を打ち明けようともしなかっただろう。彼は今日のNBAに関わるすべてのひとに、その道を切り開いてくれた人物だ。
真の人間である僕のストーリーは、キャブスがNBAのタイトルを獲得しても終わらなかった。途端にすべてが良くなり、エンドロールが流れて、ジ・エンドみたいには。
そんなわけがないよ。事実、僕がこれまでに経験してきた心の底からの喜びや平静な気持ちは、バスケットボールとはまったく関係ないところにあった。カネや名声、達成なんかとも、遠く離れたところにあるものだ。
鬱からは、何かを達成することで抜け出せるわけではないしね。
クリーブランドの街にNBAのタイトルを獲得できたことは、甘美な経験だったけど、それでハッピーエンディングとはならなかった。それは僕の仕事であり、今となっては自分のアイデンティティーや価値とは異なるものだ。人生で最良の日のひとつは、セラピストとの対話を始めてからやってきた。初めてそこを訪れたら、完全なる自分自身になれたんだ。ありのままの自分が心地よかった。ケビンそのものでいて、何も問題はなかった。次のことなんて、一切考えなかった。すっかりその瞬間を生きていたんだ。自分の経験から言うと、何年も生きていくことはできても、完全に生を感じられるのは30秒くらいだけど。
もしあなたが2012年──僕が最低の状態にあった頃──に、いつか誰かと部屋で話をするだけで、このような平静を感じられるようになると言ったら、僕はただただ信じられなかっただろう。それはオールスターやオールNBAに選出され、ロンドン・オリンピックで金メダルを手にしたシーズンだった。でも僕のなかでダークなものが自分を蝕み始めていることには、まったく気づかなかったんだ。
いいかい、僕はハッピーエンディングの話を売りこもうとしているわけではないんだ。僕にできることといえば、僕の人生の最悪の期間について、できるだけ正直になることだけなんだ。
だから話すよ。
2018年のあの日、不安障害に襲われてトレーナーの部屋の床に寝そべっていた時、それは自分の人生で何よりももっとも恐ろしい時間だったと思う。息ができなくて苦しく、心臓は胸を突き破りそうで、死の可能性が本当に頭をよぎった。そしてトレーナーのスティーブ・スピロが、ずっと話しかけてくれていたことは絶対に忘れない。「ケビン、何か必要なものはあるかい? どうだい? あるなら言ってくれ」と。
何か必要なものはあるかい?
それこそ、口にされるべきことだ。
それがすべてだ。
僕は29年を費やして、ようやくわかった。
何が必要なんだい?
僕にとって、それは話をする相手だったと思う。
僕にとって、それは自分がひとりではないと知ることだった。
もし今、あなたが苦しんでいるのなら、それが楽になるとは言えない。
でも、良くなっていくものだよ、とは言える。
そしてあなたは決してひとりじゃない。これは確実に言えるよ。