This is my life ~人生を泳ぐことの意味~
東京オリンピックが終わって約3カ月。
先日、引退会見を行い、正式に現役生活に別れを告げた。
当日お会いした方々、会見を見てくださった多くの方々から「スッキリしたいい表情になったね」と声を掛けていただいた。
自分ではいつも通りのつもりだったから、みんながそう思って見てるからじゃないかなって思ったけど、僕自身も清々しい気持ちがあったし、これからが楽しみでしかないので、それが自然と出ていたのかもしれない。
僕は今、やりたいことがたくさんあってとてもワクワクしている。
それが何なのか。会見から少し時間が経った今の心境、そして、これからのことについて少しお話ししたいと思う。
自分の口から「現役を引退します」とはっきり言葉にして伝えると、ああ本当に引退するんだな、とあらためて実感し、何ともいえない気持ちになった
- 萩野公介
長い競技人生に終止符を打つことは、東京オリンピックの前から決めていたし、気持ちの整理はとっくについていた。競泳選手としてやりきった充実感もある。
それでも、ずっと僕の競技人生を見守り続けてくれた方々に、自分の口から「現役を引退します」とはっきり言葉にして伝えると、ああ本当に引退するんだな、とあらためて実感し、何ともいえない気持ちになった。
記者会見に来てくださったメディアの方のなかには、昔からずっと僕を取り上げてくれるために水泳会場や練習場に駆けつけ、僕を知ろうと勉強し続けてくれた方の姿もあった。
こうしてたくさんの記者の方に囲まれて取材を受けることも、選手として水泳会場に立つことも、この先もうないんだなと思ったら、少し寂しい気持ちも浮かんできた。
寂しいような、嬉しいような、いろんな気持ちが入り混じって、今までに経験したことのないような不思議な感覚だったが、会見を終えた今は、やることはやりきった、これから新しいスタートなんだ、という気持ちでいる。
僕と水泳の馴れ初めは生後6カ月、らしい。
母親がベビースイミングに僕を連れていって、僕の水泳人生がスタートしたそうだ。だから、いつ泳げるようになったかとか、初めて50mを泳げるようになったとか、そういう記憶はない。自然と自分の水泳というものが人生の一部に常になっていた。
そんな僕は、中学生の頃から漠然と自分という存在の意義を考えていた。
こんなに広い宇宙のなかで、自分という存在はこれっぽっち。
どうして生まれてきたんだろう。何のために僕は泳いでいるんだろう。
常に一番になることを意識して泳ぎながら、頭ではずっとそんなことを考えていた。
実はもともと、僕は性格的に勝負ごとがあまり向いていない。
「絶対勝ってやる」という負けん気の強さや、他の人を差し置いてでも1位になってやる、という競争心を全く持ちあわせていないのだ。
スポーツ選手としては、明らかに劣っている部分だと自分ではわかっていた。
ただ、それに相反するかのように、神様は『人より少し速く泳げる才能』を僕にくれた。それは、自分自身でも感じ取っていた。
そんな技術面の恵まれた能力と、明らかにアンバランスな自分の性格。
しのぎを削る厳しい世界で戦い続けていることに、ずっと違和感を拭うことができなかった。
なぜ僕は泳いでいるんだろう。
なぜ僕は、こんなに苦しい思いをしながら泳ぎ続けているんだろう。
速く泳げたからって何になるの?
俯瞰的に自分を見ているもう一人の自分に問いかけられているような感覚が常にあった。
でも、考えても考えても、なかなか答えが見つからない。
泳ぐ意味を見いだせない間は、自分を見失いそうになり、もがき苦しむことも多かった。
それでも、常に勝負の世界で『ただ速く泳ぐこと』だけに自分の価値を見いだし、泳ぎ続けていたように思う。
カッコ悪くてもいい。弱くてもいい。そんな自分を全部さらけ出しながら、萩野公介ってこういう人間だと「泳ぎ」で最後に表現することができた
- 萩野公介
休養期間を経て再び泳ぎ始めたとき、どんな結果になるとしても泳ぎ続けると決めた。
全てを受け入れる覚悟はできていた。
速く泳ぐことだけが全てじゃない。それはそれで「萩野公介」なんだ、と。
そうはいっても、現実は甘くはない。
全盛期の泳ぎの感覚に到底及ばず記録も伸びない日々。
練習に向かおうとする足がすくみ震える日もあった。ほとんど食事を摂れない日が続くこともあった。
それでも僕は、復帰を決意したときに自分に誓ったとおり、東京オリンピックに向けて「最後までやりきる。絶対にブレない」という気持ちに向き合い続けた。
自分との葛藤を乗り越えない限りは、昔から問いかけ続けてきた泳ぐ意味の答えが絶対にわかることはないと思っていたからだ。
何としてでも行きたい、と踏ん張って掴みとった3度目のオリンピック。
僕にとっては集大成となる舞台。
「今までの僕の競技人生を表現しよう」と思ってレースに挑み、「自分の泳ぎ」ができた。
予選、準決勝、決勝と3本。実力的には準決勝で終わってもおかしくなかったから、まさか決勝でもう1本泳げるなんて思っていなかった。心の底から泳ぐことを嬉しいと感じたのは、ほんとに幼少期の頃以来だったかもしれない。
カッコ悪くてもいい。弱くてもいい。そんな自分を全部さらけ出しながら、萩野公介ってこういう人間だと「泳ぎ」で最後に表現することができた。心に染みわたったその喜びは、最高の舞台で全力を出し尽くした僕に神様がくれた贈り物のようにも思えた。
応援してくださっていた方のなかには、「もうちょっと続けてほしい」と言ってくれる方もたくさんいた。素直に嬉しかった。選手冥利に尽きる本当に幸せなことだと思う。
周りの人に恵まれ、その人たちの応援のもとでラストレースを飾ることができて、心の底から「今まで泳いできてよかったな」と感じている僕には、一切の悔いも残っていない。
イチローさんが現役引退の日に仰っていた「後悔などあろうはずがありません」という言葉の心境に、僕も少しだけ近づけたような気がした。
僕にとって「泳ぐこと」は、生きていくこと、人生を歩むことそのものだった
- 萩野公介
最後の最後、東京オリンピックの決勝という最高の舞台で、僕は今まで自問し続けてきた「泳ぐことの意味」の答えを自分なりに導くことができた。
僕にとって「泳ぐこと」は、生きていくこと、人生を歩むことそのものだった。
長い競技生活の中で経験してきた、嬉しいことや苦しいこと、逃げ出したくなる日々、僕が歩んできた道のりの全てが、僕の泳いできた意味だったんだと思う。
僕はこれまで、引退後、どうやって生きていったらいいかわからない、という選手を多く見てきた。だからこそ、絶対に自分はそうならないように、純粋に自分が何に興味があって、何をしたいのかということを、引退するずっとずっと前からすごく大事に考え続けてきた。
僕が思うのは、人として生まれてきたからには、やるべきことがたくさんあるっていうこと。
先日、引退を発表して、長い競技人生には一つの区切りがついた。
ただ、これは僕の人生の通過点の一つ。ここから全く別の新しい人生が始まるというわけではない。これからは、今まで歩んできた道のりの続きを、培ってきた経験をもとにさらに前へ進んでいくだけのことだ。
子供の頃から抱えていた疑問について、泳ぐことを通して考える時期が終わり、それ以外の経験によって学ぶ時期に移行した、僕としてはそういう感覚だ。
いろんな競技を、いろんな観点から考え、広い視野でスポーツ界全体を学びたい
- 萩野公介
僕は勝負ごとには向いていなかったが、ひとつだけ僕が競泳に向いていたと思えるのは、何かひとつを突き詰められるところ。頑張り続ける、コツコツやり続けることができるところだ。
自分の性格とはある意味でかけ離れたところを求められる勝負の世界で生きてきたので、僕は何で水泳をしているんだろう、とか考えながらも、一方では、自分に速く泳ぐ才能があるのをわかっているから、チャレンジしたい、それを突き詰めたい、っていう気持ちも強かった。
だから余計に、純粋に泳ぐっていうことの意味、生きることの意味を考えるようになったんだと思う。
僕が競泳人生を通じて出した答えは、あくまでも今までの僕の世界での答えだ。
競技をしながら考えたときの答えと、外から見たときの答えは違うと思う。
子供の頃から自分の奥底にあったものが徐々に表面化してきて、その気持ちを抑えることができない、無視できないくらいに大きくなってしまって、でもそういった自分も自分だなと認めることができて、前へ進めるようになってきた。
そんな今だからこそ、もっと違う角度でも「泳ぐことの意味」を考えてみることが、これからの人生においても重要なことだと思っている。
僕は僕なりの答えを出したけど、他の競泳選手はどう考えているんだろう。
他の国の選手はどうだろう。
女性の選手だとどうなんだろう。
他の競技の選手はどうなのかな。
団体競技の選手は競泳のような個人競技の選手とは違うことを考えたりするのかな。
疑問が次から次へと湧いて出てくる。
いろんな競技を、いろんな観点から考え、広い視野でスポーツ界全体を学びたい。
だから引退会見で大学院進学を目標に掲げた。競泳だけでなく、いろんな競技に関わる人から話を聞いて、その内容を自分なりに考えて、わからなかったらまた聞いて。それを繰り返しながら、疑問を一つひとつ解決していくことで、自分がずっと悩み続けてきたことも多角的な視点から答えがでるように思うし、自分と同じような悩みを抱えて苦しんでいる他の選手の力にもなれるんじゃないかなって思う。
大学院に行って僕が学びたいのは「スポーツ人類学」というジャンルになるのかもしれない。
大事なのは、純粋に自分が何に興味を持って、何をしていきたいのか。そう考えると、本当にワクワクが止まらない
- 萩野公介
僕自身、これまでほとんど水泳しかやってこなかったから、まだまだ知らないことがいっぱいあるし、これからやりたいこともいっぱいある。
一方で、何をするにしても経験しづらい、経験する機会がない、と強く感じることがある。
でも本当は、経験する機会がないんじゃなくて、それを実行しようという気持ちが足りないだけなんじゃないかな、とも思う。
だとしたら、それってすごく危険なことだ。
大学院への進学に限らず、僕が今思っているのは「自分にできることがあれば何でもしたい」ってことだ。
今までの競技生活では考えるベクトルを自分に向けていたけど、これからはそのベクトルを自分以外の誰かのために向けていきたい。
引退前に立ち上げたオンラインコミュニティ“.nogiha”の活動も、そういった思いがあったからだ。
活動を通じて僕も幸せになりたいし、仲間たちにも幸せになってほしいと思っている。
僕に力を貸してほしいとか、僕にこんなことを聞きたいとか、こういうことを教えてほしいとか、何でもいい。
僕が周りの人に支えられ、助けられたように、僕が誰かのために何か少しでも助けになれるのであれば、それを全力でやりたいって思う。
大事なのは、純粋に自分が何に興味を持って、何をしていきたいのか。
自分の考えに素直に従い、新たな経験を積み重ねていくことで、今までとは全く異なる道に進むこともあるかもしれない。
そうなったとしても、僕の生き方としては間違ってはいないはずだし、その新たな経験が人間としての僕をアップデートしてくれるはずだ。
そう考えると、本当にワクワクが止まらない。
人生を泳ぎ続ける僕の道のりは、この先も続いていく。
今考えていること、やりたいことをすべてやろうとしたら、本当に忙しくなると思う。
だからこそ、日々を大切に、家族を大切に、そして仕事も大切にしながら生きていきたい。
速くないかもしれない。最短距離じゃないかもしれない。
でも、これからも「萩野公介」ってこういう人間だと、カッコ悪い部分も、弱い部分もさらけ出しながら全力で人生を泳ぎ続けていく。
それが振り返ったときに、自分の中でのカッコいい人生だったと言えると思うから。
3年後、5年後、何をしているか、どんな景色が見えているのか。
これからの自分が楽しみでしかたがない。