めざすは「金メダル“以上”」の景色
「スポーツは面白い」
東京オリンピックを見た人は、多かれ少なかれそう思ったはずだ。
努力に裏打ちされた技術、精神的な駆け引き、試合が終わる瞬間まで勝敗が分からないドキドキ感。どれも見る人を惹きつけ熱狂させる。
それらは、パラスポーツにも等しく備わっている要素だ。
「パラスポーツは面白い」
パラリンピックを見た人に、一つのスポーツとしてのめり込んでもらう。
そんな文化を築きあげるのが、僕の夢だ。
「金メダル“以上”」これまで僕が繰り返し口にしてきた目標だ
- 岩渕幸洋
「東京パラリンピックでは金メダル“以上”をめざします」
これまで、僕が繰り返し口にしてきた目標だ。
それは3年ほど前に、メンタルコーチから「目標設定は自分が届きたいと思っているゴールより少し先に設定した方が良い」とアドバイスをもらったのがきっかけだ。
メディアの方々にこの目標を伝えると、必ず「“以上”とはどういう意味ですか?」と聞いてもらえる。パラスポーツをアピールする呼び水になっているので、「我ながら良い目標設定だったな」と感じている。
パラ卓球に出会う前は、自分に障害があると感じたことはなかった
- 岩渕幸洋
そもそも僕は、卓球をパラスポーツとしてではなく、普通のスポーツとして始めた。パラ卓球に出会う前は、自分に障害があると感じたことさえなかった。
体の状態は生まれつきのもの。輪ゴムで縛ったような状態で足首から先が細くなってしまう絞扼輪(こうやくりん)と、足全体が内側に丸まったような状態で固まってしまう内反足(ないはんそく)という病気が両足にあり、状態の悪い左足には装具をつけて日常生活を送っている。
卓球を始めたのは中学1年の時。
小さな頃からスキーやゴルフなどさまざまなスポーツをしてきたし、小学生の頃には野球チームに在籍していたこともある。
漠然と「道具を使う競技がしたいな」と思っていたなかで卓球を始めた。バドミントンやテニスに比べて長距離を走るトレーニングが少なく、自分の足への影響も少ない。そんな印象があったから、最初は甘い気持ちだった。
実際に始めてみると、卓球は体格差が出にくく、技術的な要素が占める割合が大きいスポーツだと実感した。自分の足は、他の人と同じような使い方はできないけれど、工夫次第、戦略次第で得点を奪える。その積み重ねが勝利につながった時には、すっかり卓球にはまっていた。
僕とパラ卓球との出会いは中学3年の時。
部活動とは別で通っていた、地域の卓球クラブのコーチが、障害者のための卓球があることを教えてくれた。
初めてパラ卓球の試合に出場させてもらった時は、自分より障害が重い選手にボロ負け。どの選手も自分の障害を認めたうえで、それを生かしたプレーをしていたのが印象的だった。
たとえば、基本的には障害があるサイド、僕にとっては左足側が弱点になる。体の左側に送られるボールにはハンデが出やすい。相手選手もそこを攻めてくるので、僕としては左側に打たさないようにボールを送ることが戦略になるし、相手の弱点を突くことが勝機になる。といっても、お互いに障害の部位は分かっているので、そこばかり突いても読まれるだけ。うまく外したりタイミングをみながらプレーする駆け引きが、パラ卓球の醍醐味になる。
スポーツにおいて、相手の弱点を攻めることは卑怯でも何でもない。正々堂々と自分の長所を使って相手の弱点を突く。これがスポーツなら当たり前の戦い方。パラスポーツだって同じだ。障害のあるなしは関係がない。障害を受け入れたうえで、どうプレーするかを選手たちはみんな分かっている。
逆に、「かわいそうだ」と変に遠慮してウィークサイドにボールを送らないプレーは、相手をリスペクトしていないことを意味すると思う。
障害はずっと付き合っていくもの。できないことをできるように努力で克服できる部分は努力して埋める。ただ、どれだけ努力してもできないことがあるのだと認めることも必要だと思っている。
それを認めたうえで、立ち止まるのではなく、強みに変える工夫をしていくことが大事なんだと思う。自分なりの体の動かし方を探していけばいい。
障害は「できる」「できない」だけではない、あいまいなグラデーションの部分がたくさんある。それらは全て個性に変えることができるんだと、僕のプレーで伝えていきたい。
観客は最初こそブーイングしていたけれど、最後には大歓声を送っていた
- 岩渕幸洋
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピック。僕自身は予選敗退で終わってしまったけれど、この大会でパラスポーツに対する概念を大きく変えられた。
スタンドは観客で埋まっていて、テレビで見るオリンピックと変わらない。そのなかで世界中のトップ選手が、闘志むき出しでプレーしている。相手の障害による弱点を攻めるプレーに、観客は最初こそブーイングしていたけれど、選手たちの勝利への執念を感じて、最後には同じようなプレーにも大歓声を送っていた。
パラ卓球の魅力が、その1試合を通して観客に伝わっていく瞬間を見て、鳥肌が立った。この瞬間を、より多く作っていきたい。そのためには、まず競技を見てもらうことが必要だと感じた。
パラ卓球の見方、面白さが伝わればいいと思って始めた
- 岩渕幸洋
2020年1月、僕は新たにYouTubeチャンネルを開設した。
卓球のために開発した左足のカーボン製装具について解説したり、東京パラリンピックでライバルとなる選手を自ら解説したりしている。
僕自身のことだけでなく、対戦相手について知ってもらうことで、僕が考えている作戦や駆け引きが見えてくる。パラ卓球の見方、面白さが伝わればいいと思って始めたことだ。
実は、競技をしている僕でさえリオに行くまではパラリンピックのパラ卓球を見る機会がなく、会場で圧倒されたくらいだ。見方が分かれば、興味を持ってくれる人も増えるんじゃないかと期待している。
同じ年の11月には、「IWABUCHI OPEN」というパラ卓球のイベントを主催した。
新型コロナウイルスの影響でオリンピック・パラリンピックだけでなく様々な大会が中止や延期となるなか、パラ卓球の居場所を失いたくなかったからだ。
「より多くの人に競技を知ってもらうチャンスをつくりたい」と、大会に必要な経費はクラウドファンディングで募らせてもらった。支援者のみなさんには観客として試合を見ていただき、試合動画の配信もした。
この大会では、1つの卓球台で行われる試合をじっくり観戦してもらうように形にもこだわった。通常の卓球の大会は、体育館にずらりと並んだ卓球台で次から次へと試合が行われ、見どころがわかりにくいと感じていたからだ。観客の視線が1つの台に集中されることで、会場の一体感も高まる。白熱した試合もたくさんあって、こういう環境を1試合でも多く増やしていきたいと思っている。
まだまだ小さな活動だけど、やらないよりはやった方がいい。これからも続けていきたい活動だ。
乗り越えるのは障害じゃない。スポーツとパラスポーツを隔てる「常識」ってやつだ
- 岩渕幸洋
よく、障害を「乗り越える」という表現があるけれど、僕はそれだとその言葉の本当の意味が伝わりづらいのではないかと感じている。
東京オリンピックの卓球混合ダブルスで、水谷隼選手と伊藤美誠選手が日本勢初となる金メダルを獲得した試合。素晴らしいプレーの数々に日本中が熱狂した。テレビの前で歓声を送った人もたくさんいたと思う。
同じような光景を、パラ卓球でも実現したい。
青臭いかもしれないけれど、健常者の卓球と同じような熱視線がパラ卓球に送られるようになることが、僕の目標だ。
そして、一つのスポーツとして、そんな文化を築きあげるのが僕の夢だ。
それこそが、僕がめざす「金メダル “以上”」の景色。
乗り越えるのは障害じゃない。
スポーツとパラスポーツを隔てる「常識」ってやつだ。