私のリアルな8つの本音
柔道73kg級でリオデジャネイロ五輪と東京五輪で2大会連続金メダル、世界選手権3連覇など、圧倒的な成績を残し続ける大野将平選手。体重無差別で争う全日本選手権を目前に控えた大野選手が8つの本音を明かす。
“絶対王者”とメディアで書かれることも多い。一方で、実はご自身の意識との乖離もかなり大きいと思う。大野将平選手が今、一番伝えたい思いは?
よく「心が強い」というイメージを持たれることがある。けれど、自分は強くあろうとしているだけ。強くありたい。だから、弱い自分と向き合っている。弱い自分を知っているからこそ、強くあろうとするためにもがき苦しんでいる。完璧な人間なんていないし、自分は心が強いわけでもないけど、強くあるためには稽古あるのみかなと思う。
東京五輪後、どういう思いで過ごしていましたか?
オリンピックの後はスポンサーへの挨拶などを済ませ、奈良の自宅に帰ったのが8月3日か4日くらいだった。オリンピックの後半戦を自宅で、1人のスポーツファンとして観戦しながら、「オリンピックに出ていたのに、自宅で観戦している」という不思議な状況を味わいながら、夏はゆっくり過ごしていた。
すぐに道場に行って柔道衣を着て稽古する自分の姿は、どうしても想像できなかった。「柔道をやりたくなればいいな」と思いながら、11月頃まで3カ月間くらいは道場に行くこともなく過ごしていた。
自分の中で稽古と呼べるようなレベルは、年が終わるまでほとんどやらなかった。新型コロナによる緊急事態宣言の影響もあり、オリンピックの報告や挨拶回りが年末まで忙しかった。本格的に道場に行くようになったのは、今年1月から。でも、天理大の柔道部でコロナの感染拡大があり、稽古できたり、できなかったりという日々が続いた。合宿が中止になったこともあった。休まざるを得なかったことで、メンタル的にもすごく楽に休めた。でも、今のこの自分の状況を考えると、心から休めていなかったんじゃないかと感じる。
4月3日の全日本選抜体重別選手権をけがで欠場しました。詳細は?
全日本選抜に向けて稽古を積んでいた最中、3月18日(金)にけがをした。都内での合宿中、もともと存在した肉体を減量で削ぎ落す段階で、月曜から稽古を積み重ねた金曜に、どこか集中し切れていない自分がいた。身体は正直でこういう時にけがをするんだなと、改めて思った。けがは、するべくしてするものだなと。全治4週間と診断され、大会の欠場を決めた。
コロナ禍で、日本の観客の前で試合する機会がほとんどなくなってしまった。その中で全日本選抜、そして4月29日の全日本選手権は久しぶりに有観客の大会。自分の柔道を見てもらえる場所でもあり、必ず出たいという思いがあった。自分の生き様、死に様を見てもらいたい。それが、けがをして一番に思ったこと。
大げさに言うと、柔道は人生そのものだと思う。生き様を見てもらえる貴重な機会を一つ失い、ショックはあった。でも、自分の中では良いようにも捉えている。東京オリンピック後、最初の大会が体重無差別の全日本選手権になり、舞台はオリンピックと同じ日本武道館。そこで試合ができるというのは運命的なものを感じる。けがは完治していないけど、1日1日を乗り越え、コンディションを整えていかないといけない。大きなハードルだが、普段の試合と違ったモチベーションや強い気持ちを全日本選手権や武道館に対して持っているので、それが一つの大きな原動力になっている。多少の痛みを感じても、何か不思議なエネルギーを自分にもたらしてくれる。
全日本選手権では自分に何を課しているのでしょうか? 目標は?
最初の目標は、出場すること。それは間違いない。その次は、一つ勝つこと。今は昔のように5分では終わらないし、旗判定もない。ゴールデンスコア(延長戦)で完全に決着がつく。そうなると、体の小さい選手が大きい選手に勝つことは、現実的にほぼ不可能。
では、自分は何を表現すべきか。自分自身は真っ向勝負。「柔よく剛を制す」という言葉もあるが、自分がやりたいのはそこではない。体が大きい選手に対して、小さい私は逃げずに真っ向勝負をしよう。大げさに言えば「死にに行く」ような戦いになってしまうが、負けると分かっていても戦わなければならない時が、男にはある。
全日本選手権は今回で3回目の挑戦。厳しいことは自分でも分かっているが、体重の重い選手と真っ向からやって、少しでもあらがうのが自分のやるべきこと。軽量級らしく戦う気なんか、さらさらない。重量級よりもダイナミックな、大きな柔道をして、柔道界を、会場を盛り上げるのが使命だと、強く感じる。
2024年には3連覇が懸かるパリ五輪がある。自分が出場する姿は想像できますか?
パリ・オリンピックのことは、全く見えていない。今は見てもいないし、まだ見たくもないかな。リオデジャネイロ・オリンピックや東京オリンピックは明確に見ていたけど、今年2月で30歳になり、自分の中では未知の世界に入った。
自分で言うのもなんだが、多くを達成してきた柔道人生だと思う。リオ、東京で欲しいタイトルを獲り、世界選手権も3度制した。持っていないタイトルの方が少ない中、3連覇が懸かるといえどもオリンピックの金メダルはもう経験させていただいているし、「パリに向かおう」と、なかなか今の自分は思えない。
本当に大げさだけど、1日1日、柔道をやるのがすごく自分の中では厳しい。毎日、「やりたくないな」と思う。柔道を選んだ自分が悪いけど、競技の中では面白さを見つけにくい。組手を切られたら指が痛いし、技をかけられたり足を蹴られても痛い。相手と戦うわけだから、苦しい。そうしたネガティブな感情が、どうしても前に来てしまう。柔道って、苦しくてつらい物だなと、改めて思う。
私は東京オリンピックという大きな目標があったので、我慢して堪え忍んで来られた。けれど、次のパリまで2年余りと考えた時に、なかなか「自分を倒す稽古」が継続してできない。毎日、打ちのめされている。強くなったからこそ自分の弱さが顕著に分かってしまった。
強さとは弱さを知ること。見て見ぬふりは出来ない。稽古で後輩に膝をつかされたり、組手で負ける瞬間がゆるせない。もしこれがトップレベルの試合、対外国人選手であれば一瞬の油断、隙で投げられている。
自分を倒す稽古をしてきたからこそ、負ける瞬間が分かってしまうことがある。今は特に敏感になっているから、自分を倒す稽古に納得できていない。そんな時は、負ける可能性が前より高くなる。また、東京オリンピック前は隙がなかったが、昔であれば許せていた「自分を倒す稽古」のレベルが上がっているので、ちょっとした事が気になってしまう。
先を見据えず1日1日、ひとつひとつを乗り越えていくのが今の自分。そして、1日でも長く柔道衣を着ていたい。乱取りをしていたい。柔道家として、現役を全うできたらいいと感じている。だから、勝ち負けへのこだわりが全くなくなった。勝負の世界なので勝敗は付きものだが、そこではなく、どれだけ長く柔道を続けられるか。どれだけ自分の柔道スタイルを維持できるか。どれだけ新しい技術に挑戦できるのか、という部分にこだわっている。
悩みから抜け出したい自分がいるのでしょうか?
旭化成柔道部の吉田監督には、「最近の稽古は、何かを探しながらしているよね」と言われる。たぶん、自分でも分かっている。柔道をやる理由というか、もがき苦しんでいる部分はある。でも、「生きてる」という感じは、より持てている。苦しむからこそ、自分の柔道人生。そういう柔道人生だったし、そういうものを乗り越えての自分自身だった。
オリンピックで2連覇して、その先の柔道人生が「ご褒美」みたいな感じで楽な道だったら、非常に残念。より高い山を、壁を、与えられているような感じ。「楽になりたい」とか、「もういいだろう」とか、易きに流れていた自分もいるけど、柔道は、人生は甘くない。やればやるほど、よりタフな課題が降りかかってくる。でも、自分で決めた道だし、こうして今も続けている。続ける以上、自分が楽しいと思えることは限りなくないけれど、楽しいことだけが幸せではないと思う。模索しながらやることが、「自分は生きている」という感覚を唯一持てる瞬間なのかもしれない。
30歳という年齢についてはどう捉えていますか?
30歳は節目。そこに、柔道をやめる理由を見つけたい思いや、「30歳でやめたらちょうどいい」と思うこともある。ある意味で、一つの大台に乗ったことは意識している。これからは、残念ながら落ちていく一方なんだろうな。技術、体力、心も残念ながら落ちていく一方。これから大きく強くなったり、高めたりするのは難しいと理解している。だから、なるべく今の状態を維持したり、持っていることを発揮することが大事。「維持」と「発揮」が、今後は大事になる。
最近、スピードスケートの小平奈緒選手が10月で引退することを発表された。対談をさせていただいたこともあるので、思いを寄せたりした。小平選手は「楽しい」というコメントを多く使っていた。「スケートが楽しいんだろうな」と、うらやましく思った。ボクシングのゴロフキン選手と村田諒太選手の試合では、40歳と36歳のチャンピオン同士が、がむしゃらに戦っていた。そういう姿を見ると、スポーツや格闘技っていいなと思う。内的な要因で自分をコントロールすることが非常に難しくなった中、外的な要因で、同じアスリートから刺激を受ける機会が増えた。そうしたことを、少しでも自分の肥やしにしたい。刺激があると、また1日、もう1日、頑張れる。
刺激をくれる身近な存在としては、同級生の羽賀龍之介選手。国際大会の代表に選ばれない中でも前回、前々回の全日本選手権で結果を残した。一緒に東京オリンピックに出た永瀬貴規選手も、復帰戦でしっかり金メダルを獲った。同じ天理大で稽古している丸山城志郎選手は、全日本選抜でまた阿部一二三選手に負けて、もがき苦しんでいる。近い選手の喜怒哀楽を見ていると、自分も勝つ姿とかいい姿だけではなく、けがをしていたり、痛そうにしていたりする姿を、天理大で一緒に稽古する学生に包み隠さず見せてもいいんだな、と思うようになった。
先ほどからネガティブな「苦しい」とか「つらい」ばかり言っているけど、それも生きている証拠だと思う。最近、周りは後輩ばかりになった。「あいつ、おじさんなのに一番稽古やトレーニングをしている」「あいつ、おじさんなのにめっちゃ、やってる」。そう見られるのも、いいんじゃないかな。無様な姿をさらしても、最近は柔道をやることに意味を見つけられるようになってきた。自分にとって、一つの大きな成長だと思う。
大野将平の柔道を「芸術」と評する人がいる。それはどう感じていますか?
一つのことを極めて、美しいと思えることが芸術なんだと思う。強さの向こう側には、美しさがある。だから、強いだけじゃ駄目。内容も伴わないと。強さの内面まで踏み込んで見ていただけているのは、非常に光栄なこと。ただ強いだけじゃない選手になれたことは、自分にとって誇りに思える。