突き進む

Adam Hunger/AP

To read in English (Published Apr 6, 2020), please click here.

変化の意味とは何か。そして自分自身へ何度も挑み続けることの意味とは、何だろうか。

実際、どんな人──そしていかなるアスリート──も、チャレンジに直面する。ひと月前、昨年、5年前、10年前であろうと、誰もが挑戦に臨むんだ。身体的なもの、精神的なもの、感情的なもの、そうしたチャレンジはすべての人々の人生の一部になる。それは私も例外ではない。

私は20年前、ミシガン大学から6巡目のドラフトにかかった選手で、実際に指名されるかどうかはわからなかった。なんとか名前が呼ばれると、私は荷物をまとめてアメリカの反対側へ移った。ニューイングランド・ペイトリオッツでどれくらい長くプレーするのか、またそもそもこのクラブで出場機会が得られるのかもわからなかった(1年目の私はチームの序列で4番目のクオーターバックだった)。それにニューイングランドで20年も暮らすことになるなんて、思いも寄らなかった。まして、そこで家族を作ることになるとはね。

2008年も同じ状況にあった。カンザスシティとのシーズン開幕戦の2度目のドライブ──その試合で15度目のスナップ──で、膝前十字靭帯と膝内側側副靭帯を損傷したとき、私は今後、何が起きるのかわからなかった。その後、完全に復帰するまでの数カ月を手術とリハビリに費やしたんだ。

変化と挑戦は人生の一部だ。アスリートの人生も同じさ。それらは起こるべくして起こるもの。時折、必要になるものなんだ。

そうした変化は感情的なものになることもある。記憶にあるかぎり、私のキャリアとアメリカンフットボールは極めて重要で、私の人生の喜ばしい部分を占めている。でも妻と子供と過ごす時間も同じように大切で、しばしばもっと喜ばしいものでもあるんだ。子供の成長を見守っている時に感じる喜びも。だから私の場合、常に自分自身と家族にとって優先すべきことを確かめているんだ──もしうまくいかなかったら、修正しながら。

変化と挑戦は人生の一部だ。アスリートの人生も同じさ。それらは起こるべくして起こるもの。時折、必要になるものなんだ。

トム・ブレイディ

そこにルールブックはない。なすべきことと愛するひととの間でバランスを取り、どちらにも時間を割くことは、自分たちがいかに成長しているかを知ることでもある。私の年少の子供、ベニーとヴィヴィアンは10歳と7歳になった。二人とも、もう赤ん坊ではない。つまり父親でいること──子供たちのサッカーやホッケーの試合に付き添い、彼らの親でいること──は、私にとって本当にかけがえのないことなんだ。そのバランスを見つけるのは継続的なプロセスだ。それも常に変化している。例えば最近では、一番上の息子のジャックは時々、私と一緒にフィールドでワークアウトしたり、フットボールを投げたりしているよ!

20年前、私はそれまでに暮らしていたアメリカの西海岸から、東海岸のニューイングランドへ到着した。同じ国でも、そこは別の場所で、異なる文化がある。今、私は人生とキャリアの次のチャプターに入ろうとしている。そのために、これまでに経験してきた物事に加え、反対側の海岸や別の場所、異なる文化が生かされている。もしそうしたものが身近に感じられるのであれば、そこには良い理由がある。なぜなら、そんな風にしてすべてが始まったからだ。

過去20年間に及ぶニューイングランドでの旅路は、素晴らしいものだった。それは長い道のりで、何も変える必要のないものだった。

Eric Gay/AP Images

2000年にペイトリオッツからドラフトで指名された時、私は22歳だった。カリフォルニアのサンマテオにある両親の家で座りながら、電話が鳴らないのではないかと、どんどん自信がなくなっていったことを覚えている。でも結局、ドラフトの最後の方に電話が鳴った。かけてくれたのは、ベリチック監督ではなく、アシスタントのベリだった。「君がニューイングランド・ペイトリオッツに指名されたことを伝えたい」とベリは言ったよ。

ワクワクしていた一方で、戸惑いもあった。ミシガン大学での4年間を除き、私はそれまで、サンマテオでずっと暮らしていた。率直に言って、ニューイングランドがどこにあるのか、よく知らなかった。ニューイングランドが実在する場所かどうかさえも。ドラフトが終わると、私は東海岸へ飛び、ボストンではなくプロビデンスに到着、そこからかつてのフォックスボロ・スタジアムまでクルマで向かった。それは4月中旬のことだった。最初の数週間、私はとにかくそこに馴染もうとしていた。当時はそこで20年も過ごすことになるなんて、想像もしていなかったけれども。

東海岸のことは何も知らなかった。自分の立ち位置がわかり、方向感覚を身につけるまで、けっこう時間がかかったな。カリフォルニアでは、どこに住んでいたとしても、西に行けば太平洋に出る。だから道に迷うことなんて、ほとんどないんだ。

でも東海岸では、すべてが逆になる。大西洋は東にあり、西には広大な土地がある。ニューイングランドの人にとっては当たり前のことだけど、私は多くの人よりも、これに順応するまでに時間がかかった。ただ慣れてしまえば、ニューイングランドのすべての地域と訪れた場所──マーサズ・ビンヤード、ナンタケット、ケープコッド、バークシャーズ、ドライブしたメインなど──の美しさとユニークさを知るようになった。

四季を経験したのも、その年が初めてだった。雪や寒い気候なら私も知っていた──ミシガンの冬はニューイングランドのそれよりも厳しくなりがちだけど、夏にはあまりそこにいなかった。ニューイングランドでは、(長くて曇りの多い)春、(美しくてやや湿度の高い)夏、そして(フットボールのシーズンと重なるため、私のお気に入りのシーズンである)秋を、すっかり経験した。木の葉が落ち、空気が冷えてくれば、ハロウィーンの季節だと感じるようになり、家族全員で自宅でパーティをしたり、休暇にどこかへ出かけたりした。そして4つの季節のすべてを好きになった──良かったり、悪かったり、暑かったり、寒かったり、枯葉が舞ったり、雨が降ったり、晴れたり、雪が降ったり、曇ったりするすべての四季を。

ニューイングランドでは、夫と父の経験もした。ジャックはカリフォルニアで生まれたけど、彼はここで長い時間を過ごしたし、ベニーとヴィヴィはボストンで生まれた。ベニーとヴィヴィがニューイングランドの地元民として成長していく様子を見るのは、私にとって、素晴らしい経験だった。彼らは常に自分たちのことを、ニューイングランド出身者と考えるだろう。私もすごく特別な形でそうなりそうだよ。

でも今後、私がもっとも恋しいと感じるのは、実際の場所ではなく、ニューイングランドで築いた繋がりに違いない。もちろん、最初はニューイングランド・ペイトリオッツの組織、ロバート・クラフトと彼の家族から始まった。そこから数えきれないほどの人々と繋がり、彼らはペイトリオッツでの私の20年間で実に大事な役割を果たしてくれた。チームメイトとコーチたち、過去と現在。古い友人、新しい友達、毎年のハロウィーンで “トリック・オア・トリーティング” に廻った近所の人々。でも一番恋しくなるのは、何よりもファンだ。

Gilad Haas/Shadow Lion

ひとつだけ確実に言えることがあるとすれば、ニューイングランドの人々はファンがどうあるべきかを心得ている点だ。ニューイングランドの人々は、ただただ本当に心から地元のスポーツを愛しているんだ。おそらくボストンは、ニューヨークやシカゴ、ロサンジェルスと比べると、そこまでのビッグシティではなく、小さな大きい街という感じだからだろう。たとえボストンのすべての人々を知らなかったとしても、全員と知り合いのような気がするんだ。ファンは彼ら自身がうちのチームの一員と感じ、私とチームメイトも彼らのことをそう捉えていた。

ニューイングランドのファンのサポートと愛は、いつも無条件だった。とてもたくさんの素晴らしい瞬間をはっきりと覚えている──満員のトレーニングキャンプ、優勝パレード、スーパーボウルへ向かう私たちを送り出すために毎回空港へ集まってくれた何万人ものサポーターたち。そこで勝っても負けても、戻る時には同じくらいの人々が迎えにきてくれた。ジレット・スタジアムの収容人数は7万人で、私は満員のスタジアムでしかプレーしたことがない。これ以上に幸運なことはあるだろうか?

「トミーーーー! トミーーーー!」とスタンドから反響する声援を聞き、それは私にとって実に大きな意味のあるものとなった。時には、彼らのサポートはより深いものだった。最近、友達の姉妹が初めて赤ん坊を身籠もり、男の子だったから、ブレイディと名付けようとしているというんだ。私がニューイングランドでプレーしたことによって、多くの人の人生に影響を与えたことを知ってほしいから、私にそう話したんだと彼女は言った。そんなことを聞くと、人々が私のことを温かいハートとスピリットをもって考えてくれた事実に、恐縮してしまう。これ以上に良いレガシーは、私には考えつかないよ。

ブルックラインにある私のオフィスの机の上には、私の少年時代のヒーロー、ジョー・モンタナのポスターが飾られている。その隣には、私の子供たちがペイトリオッツのジャージを着て、ジレット・スタジアムか自宅の大きなテレビの前で、私を応援する写真が並んでいる。子供たちはいつもヒーローで自分の部屋を飾るものだけど、誰かの息子や娘にとって、私がその役割を務めていると知らされるほど、誇らしいことはないね。

人生は常に変化し、いかなる選択を下そうと、どんな道を選ぼうと、チャンスはやってくる。ニューイングランド、そして20年間を知る唯一のチームを離れ、新しいフットボールチームに加入する決断は、大きなチャンスであり、大きな変化であり、大きな挑戦だ。

人々は時に、私を突き動かしているモチベーションは何かと訊いてくる。答えはシンプルさ。私は自分のこのスポーツを愛している。自分のやっていることが大好きなんだ。もうやりたくないと思うまで、ずっとやり続けたい。フットボールは、裏庭でひとりでできるようなものではない。フットボールはチームスポーツで、自分のチームメイトと協力する機会を得ることこそ、私がこの競技に惹かれた最大の理由なんだ。

私は愛のある献身的な両親と兄弟に恵まれ、素晴らしい家族で育った。サンマテオから3,000マイルも離れたアメリカの反対側で飛び、その後にボストン郊外で自分の家族を養うことになった。そして今、また別のチャプター、別のフェーズへ移ろうとしている。

ひとつのチームで20年もプレーしていると、変化がエキサイティングなものとなる。チャレンジでもある。長年の間に集まったものをまとめていると、自然と自問自答してしまう。これらを新居のどこに置こうかと。

荷物をまとめていると、ぴったりサイズが合うものと合わなくなったものがあることに気づく。サイズが合わなくなったものは残すか、またはサイズに合うように努力をするかのどちらかだ。

私が今、直面している変化と挑戦は、フィジカルとメンタル、そしてエモーショナルなものだ──それを乗り越える唯一の方法は、ただ突き進むだけだ。新しいチャプターには、アスリートとして学んだことのすべてを持ち寄りたいし、同時に夫として、父親として、家族とともに歩んでいく。一番大事なものは何かって? すべての瞬間を楽しむことさ。なぜなら、すべてはあっという間に過ぎ去ってしまうからね。

私があと10年もフットボールをプレーすることはないだろう。残された時間で問われるのは、自分がやっていることをどうすれば最大限に生かし続けられるのか。全力を注ぎ込み、可能な限り最高のものにできるか。現時点のキャリアで、私が何かを証明しなければならない人がいるとすれば、それは自分自身だ。身体的には、これまでと同じように自分の仕事をこなせる。だから今は、これ以上に何ができるのか、自分で見てみたいんだ。自分がどれだけ偉大になれるのか、見てみたい。そして人々が「行こうぜ! これこそ、うちが失っていたものだ。これこそ、我々が必要としていたものだ!」と言う声を聞いてみたい。内心では、自分に何ができるかわかっている。何をもたらすことができるかも。今、私はそれを実際に見てみたいんだ。

私のトレーニングとコンディショニングの方法は、何年も変わっていない。今はオフシーズンだが、自分にとってはもうシーズンが始まっているような感覚だ。レースを競う準備をしているみたいにね。とはいえ、レースそのものやフィニッシュラインについて考えているわけではない。準備をして、スニーカーの靴紐を結び、スタート地点まで向かい、すべてを絞り出し、グルーヴを見出すんだ。

レースが始まる瞬間に、一歩目を踏み出す。あとはもう自分ではどうにもならない。すべては然るべきペースで起こっていくんだ。実際のその瞬間まで、どうなるかはわからない。ならば、その旅路に感謝して、楽しんだ方がいいよね。

Kevin Terrell/AP Images

何年もの間、とても多くの友人やチームメイトが現れては去っていった。かたや、私は常に、移籍する必要がなかった。さっきも言ったように、ひとつのチームで20年もプレーしたことは、信じられないほど素晴らしい冒険と経験だった。でも毎年、同じことをするのはチャレンジでもある。慣れ親しんだリズムは、心地よくて素晴らしい。だがそれと同時に他のリズムや、まだ成し遂げてはいないすべてのことに気ずかせてくれる新しいリズムへの視野が失われてしまう。なにかひとつの物事がほかの物事よりも優れている必要はない──それらは異なっているだけだ。タンパベイ・バッカニアーズでプレーすることは、変化であり、挑戦であり、チームを牽引し、協力する機会であり、そして私を見てもらい、聴いてもらう機会でもある。これから過ごす時間は、これまでの時間と同じように、素晴らしいものになるだろう。

この仕事をやっている以上、今までとは異なった形にはなる。監督、選手、プログラム、すべてが変わる。今、私はレイモンド・ジェームス・スタジアムも、ミーティングルームの場所も、誰がどこに座るかもわからない。それは成長曲線であり、大西洋が常に東にあることを覚えるのと同じだ。

それでも、私は楽しみにしている。なによりも、モチベーションに満ちている。新しいチーム、監督、チームメイトたちに貢献したい。誰もがっかりさせたくない。自分が持っているものをすべて捧げたいんだ。

タンパベイの選手やコーチたちから暖かく歓迎してもらって、本当に嬉しかった。私自身、若い選手たちと知り合えたことがとても嬉しかった。

彼らは私を仲間として受け入れてくれた。彼らは私が言わなくてはならないことを聞きたがる。私がバックスにもたらせるものを、すっかり受け入れてもらっているから楽しみだよ。そのお返しに、私がなすこと、そして私がもたらすものに自信を持ち、一緒に道を進んでくれるこのチームを、全面的に受け入れる準備ができている。

私がなすこと、そして私がもたらすものに自信を持ち、一緒に道を進んでくれるこのチームを、全面的に受け入れる準備ができている。

トム・ブレイディ

これもまた年齢を重ねて得た素晴らしいことのひとつだ──他の選手の成功を望むようになること。私もペイトリオッツでプレーしていた頃、たくさんのベテラン選手が私のメンターだった。2度目の契約を結ぶ時、彼らは私のそばにいてくれた。スーパーボウルで優勝した時も、私が結婚した時も、そこにいてくれたんだ。彼らは私が成長し、進歩し、最終的に家族を持つところまで見守ってくれた。チャンピオンシップで頂点を極めるチャンスと同じくらい、年嵩のチームメイトからのサポートは、チームでプレーすることの素晴らしさだ。若い選手たちが人間として、また選手として発展していくのを助けることは、私にとって実に重要だ。ニューイングランドでの20年間で多くを学んだ──今、それらを新しいチームにもたらしたい。

ただ今は、自分自身に証明しなければならないことがある。突き進む。もし挑戦をしなければ、自分が何を成し遂げられたかを知ることはない。何かをやりたいと思うのと、実際にやるのは違う。山のふもとに立ち、最高峰に登れると自分に言い聞かせても、何もしなかったとしたら、そこには何の意味もないだろう?

私はこのスポーツで誰も成し遂げてはいないことに挑戦している。この挑戦は私にとっても楽しみだし、自分にはできると信じている。そんなチャンスをくれるチームがあるなら、そこを選ばない理由はない。

人間にはすべてをかけなくてはいけない時がある。その時に君が言うべきことは──やってみよう。自分に何ができるか。

みんなに見てもらいたい。私に何ができるかを。

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