Pure Joy
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プロサッカー選手になりたい──実は私、両親にもそんな話をしたことがない。
自分自身でも、この時に決めた、というのはなくて、自然と当たり前のように目指していたというか。物心ついたときから、ずっとサッカーばかりやってきたから。
たぶん親も、私がそういう道に進んでいくだろうと思っていたはずだけど、基本的にはただただ見守ってくれていた。本当に、自分の行動を否定されたことが一度もなくて。それ以外のこともすべて肯定してくれて、応援してくれて、口出しされたことはまったくなかった。
サッカーボールとの出会いは、はっきりと覚えていないけど、たしか5歳ぐらいだったと思う。タッチとフィーリングの感覚に、すぐに虜になったのかな。いや、それよりも、いつも一緒に遊んでいた3歳上のお兄ちゃんに負けたくなかった。それが一番だったかも。
家の近くの小さな公園には、ゴールなんてなかったけど、ボールさえあれば、それでよかった。私たちはリフティングをしたり、ボールを高く蹴り上げたりして遊んでいた。今になって振り返ると、そんなに小さな女の子がする遊びじゃないかも(笑)。でも落ちてくるボールをピタッとトラップできた時の感触が、何よりも好きだった。うまくいかなければ、お兄ちゃんに何度も何度も勝負を挑んでいたような気がする。
本当に、負けるのが嫌いだったから。それにもちろん、すごく楽しかった。
6歳の時に、お兄ちゃんが入っていた地元のチームで本格的にサッカーを始めた。男の子のチームに混ざって。
当時から身体が小さかった私は、ドリブルとか、ターンとか、ちょっと変わったプレーが好きだった。よく観ていたのは、ロナウジーニョや小野伸二さん。相手やファンを驚かせるようなプレーは、観ていて本当に楽しかった。彼らが出場したワールドカップも観た。こんな大きな舞台に立って、世界の相手と対戦したい──そんな風に、漠然と思ったことを覚えている。
ロナウジーニョの技といえば、相手の頭上にボールを浮かせて抜いていくシャペウや、片足のアウトサイドからすぐにインサイドでタッチするエラシコをよく覚えている。でもなぜか、私はエラシコが全然うまくできなくて。逆にお兄ちゃんは上手だったので、これについては勝負を挑んだりしなかった。何事も、負けるのが絶対に嫌だったから。
私はとにかく楽しいからサッカーを続けてきたけど、自分がやりたいスタイルというのは、割と小さい頃から明確にあった気がする。10歳の時、ベレーザのカップ戦の決勝をスタジアムに観に行ったことがあって、その時に「私は絶対にベレーザのサッカーをやりたい!」と直感した。ベレーザはボールを丁寧につなぐし、個人個人のテクニックも高かったから。自分も身体が大きくないので、フィジカルで勝負するよりも、スキルを重視するチームのほうが、持ち味を存分に活かせるだろうと。
そうして、ベレーザの下部組織であるメニーナだけを目指す日々が始まった。小学5年生ぐらいだったかな。以前に女子チームを見ていたコーチの方に、個人的な指導をしてもらって。
絶対にメニーナに入りたい──その想いだけで、毎日、夜の10時くらいまで公園で練習していたと思う。
セレクションも、メニーナしか受けなかった。こうして振り返ると、なかなかすごいことをしたなと、びっくりしちゃうんだけど(笑)。もし受からなかったら、どうなっていたんだろう。今ならそう思う。でもそれぐらい、メニーナにかけていた。
晴れてセレクションに受かり、メニーナの練習場まで一時間半くらいかけて通う生活が始まった。中学校の授業が終わったら、学校の近くまで親に迎えに来てもらって、クルマのなかで着替えて荷物を替え、近くの駅まで送ってもらう。それから2回電車を乗り換えて、西東京にある練習場に向かった。同じ中学校にはメニーナのチームメイトがもう一人いたから、一緒に練習場まで行くこともあった。でも、どんなに急いでも17時30分からのトレーニングの数分前に到着する感じだったから、クラスが終わり次第、それぞれ先に向かうことのほうが多かったかな。
メニーナは、12歳から18歳までが一緒に練習するクラブ。だから最初は、私より何歳も年上の選手や、身体がとても大きな選手、本当に上手な選手がたくさんいた。でも、私はそんななかに入っても、気後れしたりすることは全然なくて、逆に楽しくて仕方がなかった。あまり落ち込んだりしない性格なので、悩んだりすることもなかったし、どうしても入りたかったメニーナのサッカーは、本当に楽しかった!
そんな性格は両親から受け継いだものでもあると思うし、育てられ方もあるのかな。元々、楽観的だし、指図されたりもしなかったので。たとえもし、私がやめたいと言ったとしても、それはそれで否定されなかったと思う。
唯の好きにしたらいい──たぶん、そう言ってくれたんじゃないかな。
だから親には「勉強しなさい」と言われたこともないんだけど、メニーナが学業も大切にするクラブだったので、成績が悪いとペナルティーがあったりして。だから最低限のことはちゃんとやっていた。
ヨーロッパでプレーするようになって、私が大卒だと言うと、驚かれることがある。ベレーザのトップチームで16歳から試合に出場していたけど、当時の女子リーグは、まだプロ化されていなかったので、メニーナの監督の勧めもあって大学へ進学した。
「将来のことも考えて大学に行った方がいい」と言われたので。
私が大学を卒業した時はまだ、女子のプロリーグがなかったけど、幸運なことに、いまウエスト・ハムでプレーする清水梨紗と私は、ほかの仕事をせずに、サッカーだけに打ち込める環境を用意してもらえた。
15歳の頃から、ベレーザの選手たちと、その隣の練習場を使うヴェルディの選手の両方を見ていたから、それぞれの待遇の違いは、なんとなくわかっていた。女子は生活のための仕事を終えてから練習するのに、男子はサッカーだけで生活していたから。でもそれは不平等というより、仕方ないのかなとも思っていて。女子サッカーの人気は、男子ほど高くない。そういうのはわかっていたので。
それでも、楽しいから続けていたの。大学を卒業してから大好きなベレーザを離れるまでの3年間で学んだサッカーは、今でもすごく役に立っている。たとえば、基礎を叩き込まれた4-3-3のポジショナルプレー。どうしてその位置を取るのか、そこから動くことによってどんな影響が生まれるのか、ボールをどう回していくのか──。いまのプレースタイルに繋がる考え方やポジショニングを身につけたことによって、身体の大きな選手を相手にしても、より楽にプレーできるようになった。
海外でプレーしたいと思ったのは、けっこう前からかな。小学生の頃は特に強かったアメリカに憧れていたけど、中学生以降はヨーロッパのサッカーを見るようになって、そこで繰り広げられている男子のようなサッカーをやりたいと思った。
イングランドのチームに移籍したいと考えていたけど、日本から直接行くのは難しそうだったので、まずはヨーロッパのクラブに入ろうと思っていて。そんな時にオファーをくれたのが、ACミラン。まだ女子チームができたばかりで、環境はそこまでよくなかったし、リーグのレベルも日本と同じくらいだった。初めて海外で生活したミラノは、シーズン途中の1月に加入したから、とても寒かったし、雪が降るなかでプレーする新しい経験もした。幸運にもチームメイトやスタッフに信頼してもらえて、半年間だけだったけど、自分のプレーが出しやすいチームだった。外国籍選手が多かったから、英語でコミュニケーションが取れたことは本当に助かった。私はすごく小さい頃に英語を習っていたから、ちゃんと勉強したわけではないけど、チームメイトが話している内容はだいたい理解できていたから。喋るのは、今でも得意じゃないけど(笑)。
そして、イングランド女子スーパーリーグのウエスト・ハムへ移籍。はじめの数試合でリーグのレベルの高さを感じた。そのなかで、対戦したマンチェスター・シティのスタイルにすごく親近感があって。4-3-3のフォーメーションでポジショニングを大事にして、ビルドアップから崩していく男子チームと同じサッカーに、ベレーザの試合を初めて見た時と同じ直感を感じた。
どうしても、シティでプレーしたい──。
だから、そのシーズン後にシティがオファーをくれた時は、すごく嬉しかった。クラブの環境も本当に良くて、スタジアムもトレーニング施設も素晴らしい。しかも今、それらをもっと良くしようとしてくれている。昨季終盤からスタッフを増やしたり、女子チーム用の新しい施設の計画を発表したり。それにクラブのSNSって、男子チームと女子チームを分けたアカウントを持っているのが一般的だけど、シティは一緒。そうやって、女子チームを平等に見てくれているこのクラブの選手でいることが、本当に誇らしい。
お客さんがたくさん入るのも、嬉しい。もちろんサッカーをやる上で、ワールドカップでも、オリンピックでも、クラブの試合でも、どんな試合に対しても同じ準備をして臨む。それでもピッチに出た時に多くの観客がいて、良い雰囲気になっていると、いつもは出せない力を引き出してくれると感じるし、もっと楽しくなる。
シティの女子チームも、ただ勝つだけでは、なかなか満足しないチーム。ビジョンをしっかり持って、キーパーから組み立てていき、無理だったらやり直し、相手の隙を探していく。30、40本のパスを回しながら、ゴールに迫っていくスタイル。
私はこのスタイルが好きだし、このクラブが大好き。そして心の底から、サッカーが楽しいと感じられている。だから、このクラブと大きな成功を収めたい。来シーズンのチャンピオンズリーグ出場権の獲得は、ひとつの成功。私自身にとっては、初めての出場になるから本当に楽しみしている。シーズン後にはオリンピックも控えているけど、今はリーグだけにフォーカスしている。もちろん、優勝でシーズンを終えて、オリンピックに行けたら、最高。
オリンピックは世界中の人に観てもらえる機会なので、観てくれた人が楽しいと思ってくれたり、応援したいと感じてもらえるようなプレーをしたい。これは去年のワールドカップで強く感じたことでもあって。
小さな頃の私が、ワールドカップでプレーするロナウジーニョの姿に憧れたように、今度は私が、世界中の少女たちにサッカーの喜びを伝えられたらいい。
こうして話したり、観たりするより、実際に蹴った方が、サッカーは楽しいから!